源頼朝が現在の場所に移し、武家政権を守る神社として大事にされ、寺院としての性格を持っていました。若宮・本宮・丸山稲荷は国重文です。
1191年3月4日、小町大路あたりで発生した火事で全焼、そこで頼朝は、一段高いところに本宮を、下に下宮の二段構えの境内を構築した。当たりのには鎌倉幕府の宗社にふさわしく上下両宮の現在の姿に整え、鎌倉の町づくりの中心にしました。
その後も、たびたび火災や地震、津波で被害を受けてきたが、そのたびに再建の努力がされてきました。
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尾道 お茶子娘の供養かんざし燈籠「八阪神社」
厚木 かっては石神社と呼ばれた「荻野神社」
座間 悪疫流行を抑えたお礼に「座間神社」
鎌倉 山門を潜ると石仏が並ぶ参道「光触寺」
尾道 大きな反りの豪快な鳥居「亀山八幡神社」
鎌倉 [おんめさま]の名で親している「大巧寺」
厚木 戦国毛利氏の祖 季光ゆかりの「光福寺」
鎌倉 桓武平氏の先祖を祀る「八坂神社」
尾道 三人の義賊、三つ首様をを祀る「海福寺」

【民話 海福寺の三つ首さま】
江戸時代の終わりごろ、尾道は凶作が続き悪い病気もはやり、世の中は騒然としていました。おまけにどろぽうや追いはぎまでも出没して、人々の心は安まることがありませんでした。
どろぼう一味の首領格と思われる者に、惣兵衛、亀蔵、利助というのがいました。この三人はどろぼうといっても、金持ちからお金や品物をうばい、貧しい人たちに恵んでいたのです。
ところがとうとうこの三人が捕えられました。
三人は文政十一年神無月(旧暦十月)の二十六日、木枯らしのふく寒い日に、処刑されることになりました。………


















