虚空蔵堂 明鏡山円満院星井寺
鎌倉市坂ノ下18-28 標高 12.0m
正式な名称は、明鏡山円満院星井寺
聖武天皇の時代の730年 行基が全国行脚の途中、ここで頭脳明晰、記憶力増進をかはる虚空蔵求聞持法(頭脳明晰・記憶力増進の秘宝)の修行したときの伝説が残されている。
本尊は虚空菩薩(智慧と頭脳明晰と広大無辺の宇宙を掌る仏様)で、行基が彫って祀ったと伝えられている。その後、源頼朝が、秘仏として35年に1度だけ開帳するように命じたと伝わる。現在は毎年1月13日に御開帳して拝める。
また、1月、5月、9月の13日には「護摩焚き供養」が行われている。
虚空蔵菩薩は密教で発達した仏です。果てしなく大きな智慧と福徳があるとされ、その智慧を頼って「虚空蔵求聞持法(ぐもんじほう)」という修法(しゅほう)が生まれました。この菩薩の陀羅尼(だらに)を百万遍唱えると、人並み外れた記憶力が授かるといいます。空海もこれを成し遂げ、利益を得たそうです。
また、五大虚空蔵菩薩を本尊とした息災・来福の祈願法もあります。五大虚空蔵菩薩とは、金剛界曼荼羅(まんだら)の如来が虚空蔵菩薩に変化したもので、菩薩の法力を五つに分けて五尊で表しています。
基本的なすがたは菩薩形で、蓮台に座しています。右手には智慧を象徴する剣を、左手には福徳を表す如意宝珠(にょいほうじゅ)を蓮華の上にのせて持っています。ただし、求聞持法の本尊となるときは、右手は与願(よがん)印です。
トリビア:虚空蔵菩薩を本尊とする寺では「十三参り」が行われる。数えで十三歳になると、福徳・智慧・健康を授かるようにとお参りする行事。
(『イラストでわかる「日本の仏さま」』 日本の仏研究会編より)
「星ノ井」のある場所は、現在、坂ノ下と呼ばれているが、昔は「星月夜」という地名だった。水道が引かれるまでは、通行人にコップで水を飲ませ、銭を貰っていた。
極楽寺切通を往き還る旅人たちは、伝えとこの水を愛でて、ひとときを井戸のほとりの茶店に憩いました。慶長五年(1600)六月、京都より江戸への帰りに、ここを通った家康もこの名井を見学して行ったという記録も残っていますが、忙中閑あり、というのでしょうか、まことに奥床しい心がけと思います。
その後、近くに住む下女が菜ワ切り包丁を、あやまって井戸へ落してしまい、それからというものは井戸はいやな顔をしてしまい、星を映さなくなったということです。ささいな失策であっても、重大な風致破壊を招来した罪により、粗忽者の下女の仕業は永遠に鎌倉郷土史の中に語り伝えられることとなりました。
石段を上ると虚空蔵堂(こくうぞうどう)があります。ここは道の向い側の山の上にある成就院(じょうじゅいん)が管理している所です。
本尊の虚空像菩薩(ぼさつ)は、はかり知れない福徳と知恵をそなえて常に人々にこれを与え、すべての人の願いごとをかなえてくださる仏様といわれています。
源頼朝(みなもとのよりとも)もこれを敬い、ご本尊は秘仏(ひぶつ)として35年に一度だけ拝めるようにしました。けれども今は、毎年1月13日に御開帳して拝めるので、受験の時期でもあり、たくさんのお参りがあります。
関西では、こどもが13歳になると「十三参り」といい、虚空蔵様にお参りして智恵を授けていただく習慣があります。そのほか漆(うるし)工芸にたずさわる方々や音声を授けていただこうとする人々などの信仰があります。
虚空蔵堂の左手前に「船守地蔵(ふなもりじぞう)」
があります。お堂の中には舟の台座に石のお地蔵様が立っている珍しいものです。昔から海上安全、大漁祈願など船や水に関係のある人々にご利益を授けてくださるとして、多くの人達から尊敬されています。
鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」より
次
頁
へ
知恵と福を与え、全ての人々の願いを叶えるという虚空菩薩を祀っています。