鎌倉 旗立山とよばれる「源氏山公園」

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 英勝寺と寿福寺の裏にまたがる山をいう。後三年の役(平安時代後期の陸奥・出羽を舞台とした戦役)に際して東国に下った八幡太郎義家が山上に白旗を立てたという伝説に因って、源氏山・旗立山とよばれている。『詞林採葉抄』では鎌倉第一の勝地だという。この山は武庫山といわれていたようで、義堂周信の詩にも載せられている。 (大三輪) [文献]『鎌倉志』『相模風土記』

感動・感謝・褒めることは、免疫力アップ!

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 「感動・感謝・ほめる」などは、自分の免疫力アップという大きなメリットがあると、実験で証明されているとのこと。ことわざ「情けは人の為ならず」、他人に親切にし、相手から感謝を貰うと、「自分の免疫力アップ」という恩恵があるのですね。ボランティアなども、自分の名誉のためでなく、ただゝゝ親切にし、相手が感動する姿を見ることが、大事なのですね。「助けっぱなし!」、「助けられっぱなし!」でいいのですね!

鎌倉 昔、熊野十二所権現社といっていた「十二所神社」

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 この神社は昔、熊野十二所権現社といって1278年(弘安元年)には光触寺の境内にありました。1838年(天保9年)に今の土地を寄付する人がおり、当時30戸の村人の協力で神社を移しました。明治になって神仏分離となり、天神七柱(あまつかみななはしら)、地神五柱(くにつかみいつはしら)の十二柱の神様をまつり、社名を十二所神社と改め、今日に至っています。

退職する人に、気持ちを込めて別れの挨拶!

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 ここ数十年の核家族化で、子供時代に人との接し方を学ぶチャンスが、思っている以上に減少しています。先生を除くと、両親の2人の大人と、お母さんの友人が1~2人、その人達を入れても3~4人との接触くらいです。都会では近所づきあいもあまりないので、子供時代は人類史上初めての、少人数の大人達の中で成長していきます。大人になって、いろいろな人々の中で、過ごしていくためのノウハウを身につけていないので、かなりきびしい生活になる人達がでてくるのでしょう!

尾道 東大卒の歌人「中村憲吉旧居」

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 中村憲吉はアララギ派のリーダーとして現代日本歌人の第一人者として短歌界に重きをなしました。(アララギは、正岡子規門下の歌人たちによって結成された短歌結社誌)
 1933年12月25日に病気の療養のために、おだやかな尾道の千光寺山中腹に転地し、1934年5月5日に亡くなった。斎藤茂吉をはじめとする多くの文人たちが見舞いに訪れたといわれています。
 ここでは、離れの建物のみ見学できる。中村の資料などは文学記念室の方で展示されています。

人間は二足歩行でお尻の回りが大きく変化!

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 人間(類人猿)は体の構造上、歩くのが苦手です。ほとんどの動物の足首は、人間の膝にあたるところにあります。動物の膝は、からだのものすごく近いところにあります。鳥も先祖は恐竜なので、足首の位置は、やはり人間の膝の位置にあります。歩くに適した構造は、膝がからだに近いところにあり、腰やお尻の大きな筋肉を使う構造のほうが、歩くことに適しているのでしょう。人間はからだの構造上、歩き方をもっと意識し、練習しなければならないのでしょう!

鎌倉 家康が駆け込み寺として保障した「東慶寺」

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 東慶寺が開かれたのは、鎌倉時代の1285年。八代執権・北条時宗が34歳という若さで急死、時宗の夫人だった覚山志道尼が、その菩提を弔うために開山したといわれている。
 関ヶ原の合戦から大阪夏冬の陣を経て、豊臣家が滅亡した折、豊臣秀頼の娘を「まだ幼い」ということでこの尼寺に移す。このときに家康が駆け込み寺としての寺法を保障した。この助命された娘は、家康の孫娘の千姫を義母としていたことから助命された。そして東慶寺の二十代住持となり、子の尼寺の寺法を守り続けたと言われている。

見当外れなプライド、メンツは頭の老化!

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 こだわりが強くなっていくと、事実より、思い込みが上をいくことがあります。そして、その思い込みを基準に判断するようになります。昨年よく使われた「忖度」も、思い込みが支配しているのでしょう。似たような現象に「地位の名称(社長、部長、むかしでは官位など)」があります。これは権力争いにも利用されていたようです。朝廷が、源義経に官位を与え、他の関東の武士に「ねたみ」を持たすような政策を行い、武士の勢力の分裂を図ろうとした例があります。このような例はいつの時代にもあるのでしょう!

鎌倉 不思議な雰囲気が漂う「内藤家墓地」

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 磐城平(福島県浜通南部)から日向延岡(宮崎県)へ移封となった内藤家の墓地。
 代々のものが一墓地に建立されている。 高さ3mに及ぶ大宝筺印塔などが多く、他に笠塔婆、仏像形、五輪塔形、各塔婆形がある。
 不思議な雰囲気が漂っている墓地です。 入口は施錠されていて中には入れませんが、道路の位置が2~3m高い位置ですので、よく見えます。今は幼稚園で分離されていますが、光明寺の墓地の一部なのでしょう。このような大規模の大名の墓所がひとつにまとまっているのはめずらしいのだそうです。

「何となく」としかいいようのない直感!

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 「何となく」という感覚が身につくのは、教科書からでは無理、体験の積み重ねで獲得するのでしょう。しかし、人生経験を積んだ人でも、マンネリ化した生活では、言葉や文字中心の生活となり、体験が過去の忘れ去られたものになっています。「何となく」という感覚が、鈍くなっている恐れもあります。特に自然の変化が少ない都会暮らしだと、気をつけないと感覚は鈍くなってしまいます。人づきあいもヘタになるのでしょうか?

尾道 駅前に海に続く公園「尾道駅前」

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 1999年(平成11年)に駅前再開発が行われた。駅舎は古い景観を保ったが、そのほかは様相が一変し、近代的な商業施設やホールが建てられ、駅前に公園ができた。
 また、駅を降りすぐに見える尾道水道(瀬戸内海)は以前よりも広くなった。
 むかしは駅舎の正面に桟橋があり、その西に魚市場があった。
 そして、2019年3月10日、新たな二階建の駅舎が開業する。

子供のお小遣いの役割!

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 子供に母親が、うるさく指導する場面を見ると、母親としては、子供の自主性を引き出そうと、我慢強く子供に接している場面を見かけることがあります。しかし、子供は母親の我慢の範囲(大人の事情)を超えて、優柔不断に行動することもあります。あと3分か5分ほど我慢して………、などと思うことがあります!

鎌倉 北条一族終焉の地「東勝寺跡」

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 宝戒寺後方の屏風山と小富士山に囲まれた葛西ヶ谷の奥、東勝寺跡内にあるやぐら、新田義貞の鎌倉攻めで自刃した北条高時をはじめ、北条一族の屍を奉ったとされるが、実際の埋葬地は釈迦堂ヶ谷奥やぐら群と推定されている。高時の墓と伝えられる石を積んだ塔も建っている。この腹切りやぐらを含む葛西ヶ谷の北条一門滅亡の地として知られる東勝寺跡は、国指定史跡となっている。

乾燥注意報は火事の予防!

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 気象情報の乾燥注意情報は、「火事に気をつけてください」とのこと。むかしに比べて、コンクリートの建物や、防火材料を使った家が増えたため、防火意識が低下したようです。火の用心のパトロール時に使う拍子木は、いまも販売されていますが、うるさいと苦情がくるのか、聞くことが少なくなりました。しかし、火事のニュースは、毎日のように放送されていますね!

鎌倉 鎌倉駅から若宮大路を通り鶴岡八幡宮へ

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 鶴岡八幡宮の参道の「若宮大路」は、頼朝が妻政子の安産を祈願して1182年3月に整備したという。若宮大路は儀礼のための道、御所を除き、武士の屋敷は若宮大路側には門がなかったという。
 「“儀礼”という方式を使い、民を支配する」方法は、古代中国で発達した技法。いまではこの技法は、あまり有効ではなくなりましたが、鎌倉時代においては、最も重要な技法だったのでしょう。

脳のマンネリ化は老化現象!

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 「マンネリ」は、脳にとっては最大の老化要因なのでしょうか。マンネリ化を打開するには、視点を変えることも大事です。たとえテレビでドラマを見るときでも、日陰でも主役の表情が影になっていない、照明さんはどのように工夫しているのだろうか? どうしてこの場面で、このような音楽を流すのだろうか? あれ、目線より低い位置から撮影しているよ! 色の配置が……など、マンネリ化を防ぐ工夫は、身近にもありますね!

鎌倉 子育て観音の聖観音を祀る「来迎寺」

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 1194年、源頼朝が鎌倉幕府の礎石となった三浦大介義明の霊を弔うため、真言宗能蔵寺を建立したのがはじまり。
 当時、能蔵寺の名前は、この付近の地名として使われていた。頼朝が亡くなった後、音阿上人が時宗に改宗し、来迎寺に改名した。

血の機能が衰えた状態が「血虚」!

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 最近「あかぎれ」という言葉をあまり聞かなくなりました。エアコンや加湿器が使われるようになったためでしょうか。手が冷たい時間が続き、それに乾燥が加わると、皮膚がひび割れ「あかぎれ」になります。指を使う細かな作業が痛くて、やりにくくなりますね!

尾道 民話 京都から来た仁王様「西国寺 山門」

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 この仁王門は、門中にまつられている二体の仁王尊像とともに室町末期の作で、仁王尊像の躍動感と、威厳を感じます。正面に下がる大草履は、健脚を願っての奉納と伝えられています。
 草鞋のかけ替えが2004年12月に行われました。
 西國寺は天平年中、行基菩薩創建と伝えられ、真言宗醍醐派の大本山。
 西国一の大寺。今、徳島大学の学者グループで、この寺の「古文書」が解読されている。その中で、織田信長を呪い殺す“調伏”がこの大寺で行われた、とあるそうです。

悪口は、たまにだったら楽しい!

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 悪口を言ったつもりがなくても、巡っているうちに悪口に変化することもあります。印象が悪くなっている国や会社、人の場合は、その印象と結びついて、悪口に化学変化する場合が多いようです。言葉は事象と違って、簡単に化学変化します。現在のように、言葉中心の社会は、気をつけなければいけません。振込詐欺と同じようにね!