鎌倉 地震や津波で海辺から移された「円応寺」

 山号を新居山(しんきょさん)といい、十王堂(じゅうおうどう)とも呼ばれていますが、もとは新井(あらい)(荒井)の闇魔堂(えんまどう)というお堂だったといわれています。新居の閣魔堂は、知覚禅師(ちかくぜんじ)が1250(建長2年)に建てた寺で、はじめは甘縄神明(あまなわしんめい)神社の近くの「由井郷見越岩(ゆいごうみこしいわ)」にありましたが、足利尊氏によって海辺に移されました。

肉体的な疲労は声に迫力を欠く!

 迫力を持った声を出すには、体調が大きく影響します。実力がまだ未熟な若者は、周りの大人達と、声で同等に(無意識)なろうとします。そのため、大きめの声で話します。また、落ち込んだとき、元気がないときなど、カラオケや何かしらの応援に行って、元気を(無意識)取り戻そうとします。この特性が現在の新コロナ感染対策に弊害を起こす一つの原因なのでしょうか?

尾道 むかし曼荼羅堂といわれていた「海龍寺」

 奈良の西大寺の定証上人が西国巡礼の途路、当時の曼荼羅堂といわれていたこの寺に住み、荒廃していた浄土寺を建立したと伝えられている。
 その頃備後太田庄の荘官でこの寺の別当職であった和泉法眼渕信がこの寺を定証に寄進したという古記録がある。
 正中二年(1347年)には炎上したが、直ちに再建され、寺名を現在の海龍寺と改めたのは寛文二年(1662年)である。

こなときこそ、頭を上げ、背筋を伸ばし歩きたい!

 考え方・物のの見方を変えることは、ものすごく難しいことです。情報や本などを選ぶとき、青年期以降は自分で選ぶようになります。誰かに勧められたとしても、その誰かは、自分が選んでいるので、同じ流れの中で選んでしまいます。その結果、自分が選ぶ流れからは抜け出せないでいます。その流れから抜け出す一つの方法として「無の境地」を修行する「座禅」が生まれたのでしょうか!

福山 鞆 五ヶ寺を統合した寺院「大観寺」

 麾尼山大観寺は昭和初期に、増福寺・玉泉寺・地福院・宝嚴寺・常喜院の五ヶ寺を統合した寺院である。
 増福寺は、永禄年間(1558~1569年)に、玉泉寺・地福院(江戸初期は泉蔵坊)は天正年間(1573~1591年)に再興されたと伝えられる。宝嚴寺(江戸初期は長福寺)と常喜院は慶長10(1605年)年頃の建立と伝えられる(『あくた川のまき』天和3(1683)年)。
 再々、朝鮮通信使の上官の宿舎になった。江戸時代は真言宗明王院末寺。

ダーウィンの自然淘汰説!

 「現在の環境にどれほど適応できるか?」が現在問われています。岩手県の人達は、現在の状況に対する適応力が高いのでしょうか? 新コロナウイルスとっては、岩手県の環境が適応しにくいのでしょうか? どちらにせよ、現在の状況に適切に(結果的にかもしれないが)対応できた人達が生き残れるのでしょうね。

鎌倉 腰越 開山は空海と伝えられる「浄泉寺」

 以前は、山門も本堂も、江ノ電の線路の方を向いて建っていましたが、1955年(昭和30年)に国道134号線が造られた際に現在の位置に移されました。国道の工事中の1954年(昭和29年)に、浄泉寺墓地の南側と小動神社境内から、開元通宝(かいげんつうほう)・治平(じへい)通宝・政和(せいわ)通宝・洪武(こうぶ)通宝その他、宋(そう)や明(みん)の古銭が1000枚以上、約60kgも出土しました。

人よりも先々のことを考え、準備が大切!

 「先々ことを考える」ということは、一つの答えではなく、「想定されるさまざまなことに、どのような対応ができるか」を考えること。テストの答えは一つしかないので、これに慣れすぎると、先々のことを考えることができなくなってしまいます。そのためか「なんとかなる」という答えを導き出してしまいます。学校での知識教育には限界があるようですね。やはり、多彩な自然の中での体験を、数多く積むことが大切なようです!

尾道 大理石の彫刻が並ぶ耕三寺「未来心の丘」

 広さ約5,000平方メートルお大理石の庭園で、彫刻家  杭谷一東(くえたにいっとう) 氏にその制作を依頼したもの。使用されている白い大理はイタリアのもので、船で運んだものです。
 瀬戸内周辺は花崗岩の産出地で、それを知っている人は違和感を覚えるのでしょうが、作家はそれを狙ったのでしょうか?

子どもにペットを!

 一人っ子や兄弟・姉妹の一番下の子供は、ペットがいると「面倒を見る」という体験ができます。この体験があると、イジメなどせず、面倒見の良い子供に育っていく可能性が広がります。家庭菜園などで、植物を育てる体験も良いものですが、ペットですと、あたかも子育てをしているような感覚も体験できるのでしょう。なんであれ、生き物を育てか経験は、無駄になることはないのでしょう!

厚木 曹洞宗天巽派の修行道場「清源院」

 厚木市三田に曹洞宗の巨利、東福山清源院があります。三田地域のほぽ中央、西方丘陵、緑したたる森の中に所在し、禅宗としての巨刹です。この地は、昔北条氏の家臣、越智弾正忠の館跡とも伝えられ、清源院の本尊薬師如来像は、天正年間、越智出雲守の寄進によると伝えられます。
 中世末期、天台宗を曹洞宗の名僧、慶順和尚の同時再興によって改宗されたもので、近世においては曹洞宗のこの地方における中心として権威をもっていました。

地球温度が2度上昇で、海面が1~2m上昇!

 温暖化によると思われる気候変動が現実のものとなってきました。海面の上昇は、川水の流れ込みに影響し、海面が上昇した分、河口の川の水面も上昇します。気候変動が警告されたとき「なんとかなるさ」と思っていた人もいましたが、対策を打たないと乗り越えられません。今回の新コロナの流行でも、「なんとかなるさ」と言っている人もいますが、確実でなくても有効と思う対策を行うしかないのでしょう。気候変動は、生物の生存環境にも変化をもたらしますので、ウィルスや細菌にも何らかの影響を与えているのでしょう!

鎌倉 太田道灌の屋敷跡と伝える「英勝寺」

 太田道灌の屋敷跡と伝える。扇ケ谷にある浄土宗寺院。鎌倉唯一の尼寺。山号は東光山。寺地は太田道灌の屋敷跡と伝える。開山は英勝院長誉清春。徳川家康の側室でお勝の局といい、太田康資の女(むすめ)。寛永十三年え(1636)開堂供養。第一世庵主は水戸頼房の女小良姫(清因尼)。以来、住持は水戸家からむかえたので、水戸様の尼寺とされた。仏殿・祠堂・鐘楼・庫裡・書院・宝蔵庫などのたたずまいは美事である。

(「鎌倉 趣味の史跡めぐり」[文献]『市史』社寺編、小丸俊雄『東光山英勝寺』より)

龍安寺の石庭、コケの美学!

 コケが見直されているようです。自然があれば、どこにでもあるような印象です。昨今の外出自粛、コケの美学を追究してみることも一つの方法です。コケは枯らした場合でも、罪悪感はそれほど感じなくても済ます。石などにくっつけて、それをいろいろと配置し、楽しんでみたら如何でしょうか!

尾道 千光寺山山頂にある「八畳岩」

【伝説 雷と千光寺山の大松】

 千光寺山頂に杉原民部太夫元恒の築城した権現山城の跡に、千畳敷という平地があります。その東北に八畳岩という大きな岩があり、そこに物見やぐらが建っていました。物見やぐらからは木ノ庄町木梨にあった杉原氏本城鷲尾山城が望まれ、また尾道もひと目で見渡せたそうです。
 その物見やぐらの跡に、大きな古松がひときわ高くそびえていました。人々はその松を「物見の松」と呼んでいました。………

運動で汗をかくことであとはスッキリ!

 近年、温度差が激しくなっています。こんなときは、その温度の上下にからだを馴らすことが必要です。その一つが、意識的に汗をかくことでしょうか。そして、汗をかいたあとにシャワーをあび、スッキリする、気分が爽快になると同時に、からだも温度変化に柔軟なからだになるのでしょう。ランニングも良いですが、河原の石がゴロゴロしたとくろや、歩きにくい砂浜など、バランス感覚を同時に鍛えられるところも良いですね。無理をしないで、自分流にできると良いですね!

座間 伊勢鈴鹿郷の神輿が流れ着いた「鈴鹿明神社」

 欽明天皇(539年即位)の御代に創祀せられたという。
 伝説によると、伊勢の鈴鹿郷の神社例祭に神輿が海上を渡御した折、にわかの暴風に襲われ、漂流して相模国入海の東峯に漂着した。里人が社を創立してこれを鎮守とし、鈴鹿大明神と崇め奉ったと伝えられている。

仲のよい夫婦のもとで育つと!

 子供は小学校くらいまでは、大人をよく観察しています。一番大きく影響するのが、両親の関係なのですね。それから精神的自立のためか、反抗期に入ります。それまでは、両親や近親者が中心でしたが、だんだん周辺に目が行き出します。このとき、住んでいる町の風土の影響が大きくなってきます。まわりの人たちとのつながりを避ける町、物々交換が盛んな町、近所の人達が気遣ってくれる町など、25歳位まで精神的な成長が続いていくのでしょう!

鎌倉 素朴な一木造の薬師如来像「辻薬師堂」

 薬師堂には、素朴な一木造で、平安後期のものといわれる本尊の薬師如来像(やくしにょらいぞう)と、江戸時代のものである脇侍の日光(日光)・月光(がっこう)菩薩像(ぼさつぞう)や、鎌倉時代の八体と江戸時代の4体の十二神将像(じゅうにしんしょうぞう)が安置されていました。現在は鎌倉国宝館す。堂内には同じ形の仏像の一部が安置されています。
 薬師如来は薬壷を持って人々の病気を治すなど願いごとをかなえ、日光・月光菩薩は薬師如来のカが昼夜を問わず発揮できるようにするといわれます。

うつ病の人は免疫力が弱くなる!

 自宅にいる時間が長くなっていると、時間を持て余してしまう人もいるでしょう。ストレスが増えている人もいるのでしょう。屋外だけでなく、屋内でもできる趣味を持っていると良いのですが………。子供のときから自然の中で育っていると、外でも、内でも遊べる子が多いようです。自然は、晴れている日もあれば、雨の日もあり、その中での遊び方を身につけているようです。そのためか、何かしらの遊び方を創り出すようです!