小動山 浄泉寺(真言宗)
鎌倉市腰越二丁目  標高:6.8m
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 京都大覚寺の末寺。

 昔、神仏を一緒にまつっていた時代には、今の小動神社は八王子社(はちおうじしゃ)と呼ばれ、浄泉寺はその別当寺となっていました。そのため、1917年(大正6年)まで、浄泉寺の住職が小動神社も管理していました。神仏分離令以後もこのような形をとっていたのは珍しいことです。こうしたことから、1333年(元弘3年) に新田義貞(にったよしさだ)が鎌倉攻めのときに八王子社に奉納した剣が、この寺に保存されていたことがあったといわれています。また文治年間(1185年ー1189年)に、佐々木盛綱(もりつな)が船上からこの寺を拝んだという話も残っています。
 開山は空海(くうかい)と伝えられ、中興(ちゅうこう)開山は、1558年(弘治4年)に没している元秀(げんしゅう)です。赤い山門を入ると、正面に本堂があります。本堂は公開されていませんが、本尊は左手に剣を持つ珍しい不動明王(ふどうみょうおう)で、腕を前で交差させています(非公開)。
 境内には、本堂左側に地蔵堂や関東大震災の供養塔(くようとう)などが立っています。
(鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」より)
 以前は、山門も本堂も、江ノ電の線路の方を向いて建っていましたが、1955年(昭和30年)に国道134号線が造られた際に現在の位置に移されました。国道の工事中の1954年(昭和29年)に、浄泉寺墓地の南側と小動神社境内から、開元通宝(かいげんつうほう)・治平(じへい)通宝・政和(せいわ)通宝・洪武(こうぶ)通宝その他、宋(そう)や明(みん)の古銭が1000枚以上、約60kgも出土しました。
本尊は不動明王

 明王の役割は、すべての人に悟りを開かせて救うことです。仏教の教えを聞かない人は脅かしてでも救おうとします。だから、顔は恐くても、心は優しく温かいのです。
 さらに修行者を加護し修行を達成させるとして修験道でも崇拝されています。
 小さいけれど凛とした品のあるお寺、少し寂しいかな。
 本尊は不動明王。恐ろしい顔をした不動明王は大日如来の使者で、右手に剣を持ち、左手に羂索(縄)を持つ。その剣で煩悩を断ち切り、羂索で煩悩を縛り、人々を救う。
 不動明王の顔は左右が対称をなしていない。その目は、右目は全開しているのに、左目は細く閉じて
おり(ただし両眼を全開したものもある)、右目では天を見、左目では地を見ている。口も左右非対称である。右下の歯で右上の唇を噛み、左右の犬歯(牙〉の右は上に、左は下に突き出している。動明王像ではそれらを左右非対称にすることで、恐ろしさが強調されている。






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