しつけを成功させる秘訣!

 人間が言葉を使うようになると、多くのことを言葉で指示するようになりました。しかし、昔の職人は「見て覚える」ことを基本にしていました。言葉で伝えることの限界が分かっていたからでしょう。現代は、マニュアルで伝えることが基本になりました。そして、マニュアルを作った人達がリタイアすると、大きな工場でもミスによる火災などの事故が起きるようななりました。鉄道も止まることが多くなりました。親たちも、子どもに言葉でほとんど指示しています。やはり、言葉の限界をわきまえ、昔の職人さんたちのように、子どもに対しては、やって見せ、やらせてみて、それを繰り返すことも必要ですね!

鎌倉 腰越 稲荷明神像もある「本成寺」

 門を入った正面に本堂があり、右側に墓地、左側に庫裏があります。日蓮の弟子日賢(にっけん)が1309年(延慶2年) に開いたと伝えられています。本尊は、三宝本尊(さんぽうほんぞん)(祖師)という「南無妙法蓮華経」のお題目が書かれた塔と釈迦如来、多宝如来で、日蓮上人像とともにまつられています。また、岩の上のキッネにまたがった稲荷明神像もありますが、これは「教(経)-稲荷」と呼ばれ、左手に宝珠(ほうじゅ)を持つ江戸時代のものです。

昭和三十年代の暮らしに少しの工夫をプラス!

 昭和30年代に「三種の神器」といわれたのが、テレビ・洗濯機・冷蔵庫の家電3品目です。今はテレビに変わりパソコンかも知れません。この辺りが「ほどよい電化」なのかも知れません。ただ、現在の電化製品が失ったものが、”安く簡単に修理が出来なくなったこと”です。1960年代後半から始まった「大量生産・大量消費」は、人々の生活を変えただけでなく、浪費への罪悪感も取り払ってしまいました。そんな時代が半世紀つづいた結果、自然災害の多発が始まりました。温暖化が原因といわれだし、資源の浪費をなんとか抑えられないか、言われ出しました。人間は、いったん浪費癖を身につけると、「人間の命の流れ」すら、維持する力を失ってしまうのでしょうか?

福山 坂本龍馬と紀州藩が談判した「福善寺対潮楼」

 朝鮮通信使とは、李氏朝鮮が1404年から日本に派遣した外交使節で、豊臣秀吉による朝鮮侵攻のあと途絶えていたが、1607年から再開された。
 江戸時代には、1811年まで12回、朝鮮通信使が日本を訪れている。その中心のメンバーは外交担当の役人や武官だが、さまざまな随行員も含めると、毎回なんと約400人もいた。
 彼らは、対馬や壱岐から瀬戸内海を通って大坂・京に入り、名古屋を経由して東海道を行進して江戸に到達した。
 「いろは丸事件」の際,坂本龍馬(武器商人か?)ら海援隊と紀州藩が実際に談判を行った場所でもあります。

「直せば使える」モノは実に多い、だが高い!

 プラスチックごみ削減が問題になっています。しかし「ものづくり」は、使い捨ての発想で設計されています。「修理のしやすさ」が設計に折り込まれていません。昭和30年代から40年代初頭までの、修理を前提にした設計がされていません。修理ができないため、災害時などのニュースでは、大量のゴミが発生します。「我が社の製品は、修理が出来ますよ!」というメーカーもほとんど見かけません。修理が出来るものづくりの最後の世代は、かろうじて団塊の世代までです。いまのうちに、昭和30年代のものづくりのノウハウを引き継ぐことが出来ると、ゴミ削減につながるのですが!

尾道 瀬戸田 武州から来た法然上人像「法然寺」

 法然上人(浄土宗の開祖)が、四国に御流罪になったとき(鎌倉時代の初め)、その徳を慕われた後白川法皇の皇女 如念尼(にょねんに)公は、この島の南側、御寺(みでら)の光明坊にご来寺になって、讃岐(現在の香川県)から上人をお招きになりました。
 上人は当地に庵を結び、御寺までお通いになって九十日の間、如念尼公に說法、ご教化されたと言われています。
 その後三原の仏通寺(臨済宗)の末寺となっていた時期もあるようですが、江戸時代の初め頃、慶長年間(1607年)に再興され、伽藍が整えられました。本堂、庫裡はいずれも慶長年間の建築です。

本土日本人は弥生人の遺伝子が65%!

 混血は、人類の生き残り作戦の一つですね。現在の新コロナ伝染病においても、証明はされていませんが、稲作地帯出身者は感染者が少ないようです。これも、何らかの遺伝と関係しているのでしょう。また、昔話の「桃太郎」でも、川から桃が流れてきて、そこから生まれた子どもが桃太郎ですが、女性の象徴が「桃」ですので、この話には、他国から来た女性を妻にすると、立派な子どもを授かる、という意味がひそんでいるようです!

鎌倉 例祭では神輿が海に入る「五所神社」

 材木座に鎮座。祭神大山祗命・天照大御神・素盞嗚尊・建御名方命・崇徳天皇。例祭七月七日、神輿渡御がある。元村社。材木座区の氏神社。もと三島神社であったが、明治四十一年乱橋村と材木座村にあった諏訪神社・八雲神社・金比羅宮・視女(みるめ)社を合せて五所神社と改称した。視女社は補陀洛寺の鎮守で、見目明神(天照大御神)と牛頭天王を祀った社であった。境内に板碑がある。また神輿は寛永十九年(1642)修造の棟札がある。

なにごとも腹八分が一番!

 気持ちも「腹八分」が大事。新コロナで混乱するときも、気持ちが腹八分なら、少しは楽になります。学生時代、100点ばかり目指していると、気持ちに余裕がなくなります。実社会では、100点は存在しないと思ったほうが良いようです。その代わり、多くの種類の80点があります。ときには、105点ということもあります。昔は、先生の中には103点や105点(教科書で教えたこと以上のことを調べていたときなど)をつける先生もいたのですが、現在はコンピュータ管理のため、禁止されているようです!

浄土寺山8合目あたりに巨石「不動岩」

 浄土寺山は瑠璃山の別名をもつ。
 その8合目あたりに巨石が「不動岩」です。巨岩に不動明王が刻まれています。
 不動明王は、真言宗をはじめ、天台宗、禅宗、日蓮宗等の日本仏教の諸派および修験道で幅広く信仰されています。
 密教の根本尊である大日如来の化身で「お不動さん」の名で親しまれ、大日大聖不動明王、無動明王、無動尊、不動尊などとも呼ばれており、特に日本において根強い信仰を得ております。真言宗では大日如来の脇待として、天台宗では在家の本尊として置かれる事もあります。
 浄土寺山の麓に真言宗の浄土寺があり、不動明王を刻み込んだのでしょうか。

飢餓の歴史の中で身についた「腹八分目がいい」!

 平均寿命は、毎年のように上がっています。アメリカの研究では、40歳で比較した場合、富裕層が貧困層よりも、6年長く生きるとされています。しかしその要因は、新しい治療法と疾病予防を受けられること、とされています。予防と治療が同じ場合、「腹八分」が長生きや健康寿命に寄与しているのか、よくわかりません。日本では、富裕層と貧困層の医療格差が比較的少ないので、日本の研究があれば良いのですが、どこかにあるのでしょうか?

鎌倉 仏の顔を納めている本尊の薬師如来「海蔵寺」

 昔、寺のうしろの山すそから、何とも悲しげな赤子の泣き声が毎夜のように聞こえてきました。
 開山の空外(くうがい)が、声のするところを探してみると、泣き声は古ぼけた墓石の下から聞こえてきます。そしてその墓石からは金色の光がもれて輝き、あたりにはよい香りがただよってい ました。そこで空外は、お経(きょう)をあげたあと、袈裟(けさ)をぬいで墓にかぶせました。すると不思議なことに、赤子の泣き声はピタリとやみました。翌日その墓の下を掘ってみると、18cmほどの立派な薬師如来のお顔が出てきました。 このあと空外は新しく薬師如来を造り、堀り出したお顔をお腹の中に納めてまつることにしたのです。

人間関係を持続させたい!

 人間関係づくりが、下手になってきているようです。これは人類初の出来事「核家族化」の影響もあるのでしょう。小さなときから、狭くて少ない人達の間で育ち、しかも兄弟も少なく、年の離れた上(親や先生達)からの指示で動くことが習慣になり、(自然の中で)自分で判断する経験が少なくなっています。また、教育の発達で100点を取ると、同年代の関係の中でも上位に立つようになっています。組織の運営は上下関係があったほうが安定するのでしょうが、組織を離れると同等の人間関係のほうが楽ですね!

尾道 変化に富んだ天邪鬼が用水鉢の下に「浄泉寺」

「天水鉢をささえる八体の天ノ邪鬼」
 あるものは座り、あるものは横臥、また寝そべり、その肩から背にかけ天水の一角を支え、その面貌の変化に富んだ面白さ、四肢の動き、まさに石の町を代表する作品であろうが、惜しいことに同寺が明治二十二年、火災にあったさい、火にまかれ原型を損じ、さらに子どもの悪戯か、腕の一部が欠けるなど痛みが激しい。
 何事にも逆らって、仁王さんや四天王に踏みつけられるのが天の邪鬼。本堂の雨水を受ける水槽にまで天の邪鬼が押さえられている意匠が面白い。尾道石工のアイデアは実に豊かだった。