本堂の西側にある「三ツ首様」は処刑された盗賊の首をまつったもの。1828年の頃、尾道地方に想兵衛・亀蔵・利助という三人の盗賊がいたが、一風変わった連中で常に貧者に施しをしていた。
三人が捕らえられ処刑された夜、この寺の住職勘応の夢枕に三人の霊が現れて、「我々三人の首を埋葬供養されたら、首より上の病を癒すであろう」と告げたので、住職は三人の首を請い受けて本堂の横に埋葬し、三人の戒名を刻んでねんごろに供養した。それから霊験まことにあらたかであるので「三ツ首様」はお香の煙が絶えない。
11月 2020のアーカイブ
子供に無関心な親が、いわゆる"最悪の親"!
鎌倉 天狗の姿をした像を祀る「半僧坊大権現」
能力主義には限界がある!
福山 鞆 鬼子母尊講中お題目碑がある「妙蓮寺」
慶長年間(1596~1614)に実相院日玖が創建したと伝えられています。実相院日玖は元気で充実した年頃に日常のつきあいを断ち、法宣寺十四世恵性院日親の弟子となり、修行し、法華経を読すること40年、一万二千余巻におよんだ。
福山藩主・水野勝成殊勝に願い、寛永の末(1644年頃)今の地を賜い、三人扶持十一石を賜る。
本堂は、主として浄財を募り建立。上京し、本山から山号・寺号を請受した。庇護もあり、その勝俊の位牌が伝わる。承応年間(1652~1654年)に建立したと伝えられる三十番神堂があり、二代・日護の時、延宝年中(1673~1681)奉行・藤井六郎右衛門に願い出て、境内門前を広げ、四代・日義、元文四(1739)年に鐘を鋳造した。妙蓮寺本堂、鐘楼、山門とも元文年間(1736~1741)に再建された。
東洋医学的にいうと、病気は血の汚れが原因!
西洋医学は、測定が可能なデータをもとに、それまでの知見をもとに、病気を判断し対処しています。測定ができない場合は、専門分野を勉強すればするほど「直せない」という判断になるのでしょう。もちろん、専門分野の知識と、経験で感性を磨き、常になにかよい対処法がないかと思いながら、経験を積み、考えに考えてきた医者は、検査データは参考程度に利用し、対処法を見つけ出してしているのでしょう。多くの医者は、検査データだけに頼っているのだろうと感じる理由は、患者が自分の症状を伝えるための「ことば」が、非常に少なく、地方によって独特の言葉ありながら、「症状を表現する言葉」を整理し、表現しやすい言葉を見つけ出すなどの作業を、医学会がやっていないように見えるからです!
鎌倉 明治中頃まで住職を置かなかった「龍口寺」
「考えること」を教えることはできません!
尾道 明治の火災の時、三重塔が残った「向上寺」
「毒のある人々」は善人ぶる!
鎌倉 昔、ここに律宗の多宝寺があった「妙傳寺」
M&A(企業の買収)は投資家向け!
厚木 江戸時代、大山詣での街道沿いに「法界寺」
ヒトは大人になっても子供の形質を持つ!
「日本人(アジア人も)は、大人になっても子供の形質をたくさんもっている」とのこと、この形質は、新コロナウイルスの感染にも影響しているのでしょうか。人類が各地域での生き残り対策が、DNAに組み込まれ、その結果が住んでいる地域の環境に適応できた人達が、現在まで生き残ることが出来たのでしょう。だから、現在に生きている我々も、確実な感染対策ができる素質を発揮できる人が、生き残っていくのでしょうか。日本人は、法律で規制しなくても対応できる人が多い、関西や西日本の古くからの商人の町では、半世紀ほど前までは「法律は最低のマナーだ」といわれていました。だから、法律で規制しなくてもルールを守る人が多いのでしょう。これはやはり歴史の産物で、DNAにもある程度組み込まれているのでしょうか!
鎌倉 新田義貞が北条方の戦死者を弔う「九品寺」
創建は1336年 九品寺は、新田義貞が京より招いた風航順西が開山。この地は義貞が鎌倉攻めの際に本陣を構えたところとされ、北条方の戦死者を弔うために建立された。
1333年 新田義貞は5月8日自国を出発、徐々に軍勢を整え、鎌倉に攻め上った。5月22日 稲村ケ崎で“剣を投じて奇跡”を起し、そして一気に中心に向かって侵攻。材木座海岸からまわりこんで、この地に陣を構えた。 町の中はあちらこちらに火が放たれ、猛火が罪のない人々を襲い、阿鼻地獄のようになった。
北条方も勇猛に戦ったが利あらず、同日東勝寺にて、北条高時はじめ多くの一族郎党、八百七十余人が自刃したと 伝えられている。『太平記』
鎌倉では唯一の義貞が建立した寺で、山門の「内裏山」、本堂の「九品寺」の掲額は、義貞の筆蹟と伝えられている。
自分の無力さに気づくと!
尾道 平安時代の初め806年の鎮座の「艮神社」
ヒマな人間も忙しいと思っている!
鎌倉 安産の神様とされる産女霊神を祀る「大巧寺」
人は誰でもが出来損いである!
中国の主君に対する格言で、一番良い主君は、人民から見て「主君が、いるのか、いないのか、分からない社会が一番良い」とされています。庶民が自由に生活しながら秩序が保たれ、安定した社会が理想の社会ということです。その風土か現在でも何とか残っているのは、日本だけになっているのでしょうか。今でもたくさんの神々がおり、仏教があり、いろいろな宗教もそれほで否定しない風土があるのも珍しい国です。ただ、外国の情報が大量に流れ込み、英語教育も強化される社会、強いリーダーが良いとする社会に移っていくのでしょうか? 生物としての人間は「子孫に繁栄を引き継いでいくこと」が大切とされています。織田信長も豊臣秀吉も、子孫に繁栄を残していません。しかし、現代では、すごい英雄と考えられていますね!