福山 鞆 朝鮮通信使の常宿でもあった「南禅坊」

 天正年間(1573~1591年)に創建したと伝えられる。
  元々、福禅寺下にあったが、江戸中期(正徳年間・1711~1715年頃)に現在地に移転する。 寺院調査の中で、「梵鐘一件記録」が発見され、鐘の供出を巡る経過を詳しく記した史料として貴重である。かって、その鐘があった鐘楼門(山門)は現存する。
 江戸時代を通して、朝鮮通信使の常宿でもあった。 朝鮮通信使とは、李氏朝鮮が1404年から日本に派遣した外交使節で、豊臣秀吉による朝鮮侵攻のあと途絶えていたが、1607年から再開された。
 江戸時代には、1811年まで12回、朝鮮通信使が日本を訪れている。その中心のメンバーは外交担当の役人や武官だが、さまざまな随行員も含めると、毎回なんと約400人もいた。
 朝鮮通信使は、対馬や壱岐から瀬戸内海を通って大坂・京に入り、名古屋を経由して東海道を行進して江戸に到達した。朝鮮通信使の一団は、日本ではめずらしい服装で朝鮮の音楽を奏でながらパレードした。当時の日本の庶民は、毎回わざわざ見物に集まり、江戸の町ではこの異国人の一団を描いた絵や書物が飛ぶように売れたといいいます。

一人の時間を味わい深く過ごす力!

 一人旅を受入る宿泊施設が増えているようです。
 今は情報が増え過ぎ、自分の五感で情報を集める機会が少なくなっているようです。
 都会から離れ、身本の目、耳、鼻、現地の食べ物や肌感覚など、新しい情報に触れることが出来ます。
 Netからは得られない情報を、五感で得ることが題字にされる時代になってきているようですね!

2026年8月18日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : risetu

苦手なエアコンと上手に付き合う!

 むかし勤めていた会社でタイから来た人達、昼食の時、食堂の七味唐辛子がアッという間に無くなっていました。
 暑い国ではトウガラシをたくさん貯めることを知りました。
 トウガラシに含まれる成分が、暑さ対策に効果がある、とのこと、熊本の暑さ対策に効果があるのでしょうか?
 現在からみ成分が強いものが日本の食堂でも発売されています。
 でも、暑さ対策としてはどうなのでしょうか?

2026年8月12日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : risetu

尾道 室町時代の様式の特徴をとどめる「西郷寺」

バス停{坊地口」から図書館の横と通り「西郷寺」に行く途中に

【伝説 水之庵と荒木村重】

 「むかし、薬師如来さまのおかげで、この庵のそばにお湯がわき出たといい伝えられています。また庵の下には、薬師水という霊水のわく井戸があり、その水につかると病気が治ると信じられていました」
 水之庵は文和四年(1355年)に創建され江戸初期に西郷寺の末寺の一つ薬師院水之庵と号しました。
 水之庵には次のようないい伝えがあります。
 戦国時代、武将として数奇な運命をたどった摂津の豪勇荒木村重(1535~1586)は、織田信長に反逆心をいだき、配下をぬけ、居城を捨てて、安芸の毛利氏をたよって備後に下り、尾道に隠れ住んだといわれています。村重は尾道に二、三年隠れていましたが、この水之庵に居住し、清水のわく井戸で茶の湯をたしなんだそうです。
 村重は茶道への志深く、その道の要人とされ、信長没後、豊臣秀吉に茶道で仕えたといわれています。
 水之庵井戸跡は現在図書館になっています。

尾道民話伝説研究会 編「尾道の民話・伝説」 (2002年5月刊)より転載

2026年6月24日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : risetu

「人生百年」と呼ばれる時代がそこまで来ているのに!

 人生100年時代、これを25年ごとに区切りを付けると、0~25歳までは学ぶ時代、ここで知識教育だけでなく、五感を使った体験があると、その後の75年間の視野が広がり、ゆとりができるのではないかと思います。
 最近の異常な殺人事件を見ると、いろいろな体験から来る{痛み」の経験が乏しいのでは? と思ってしまいます。
 幼い時、虫など平気で殺していたのが、自分が痛みの経験を重ねるに従い、虫を殺さなくなっていきます。
 五感の経験は、言葉や映像による知識より、人間として生きていくためには重要なようです!

2025年7月18日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : risetu

悪い感情に囚われると、どんどんつらくなってしまう!

 最近は「批判」という言葉が、「悪口」と同じ意味に使われています。しかし、批判という言葉の意味は、広辞苑では、①物事の真偽や善悪を批評し判定すること。②人物・行為・判断・学説・作品などの価値・能力・正当性・妥当性などを評価すること。否定的内容のものをいう場合が多い。とされています。
 「批判」は、辞書の意味通りに解釈できれば、「改善」につながります。
 日本経済が力を失ってきているのは、批判を悪口と解釈し、改善につながらなくなったからでしょうか?

尾道 1935年より建立した瀬戸田「耕三寺」

“ 大阪の元実業家耕三寺耕三が、昭和10年より建立した浄土真宗本願寺派の寺院です。
 お母さんが旅行に行けないためか、堂塔伽藍は奈良・平安時代の浄土教の寺院を参考に建立されています。
 仏教を日本に広めるために奈良時代や平安時代当時のお寺を彷彿させる賑やかさがあります。
 そして、有名な堂塔の建築様式の建築された当時の姿をを一挙に見ることができます。”

中央アジアにはかつて日本人も数万人いた!

 ロシアのウクライナ侵略に、嫌悪感を持つ人が多いと思います。日本人の感覚では理解できません。
 しかし、トップがやることの「良い」か「悪い」かを、判断してはいけない国もあることを知っていなければ、世界情勢は理解できません。
 ロシアの歴史は、トップに反対する人間は、暗殺するか、シベリア送りにするか、の歴史のようです。
 たとえ間違っていても、自分の意見を言ってはならない国のようです。
 第二次世界大戦後、シベリアに長く抑留された日本人の、当時の様子を知ると、「言われていることしかやらない」という風土が、定着しているようです!

2023年12月24日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : risetu

鎌倉 開基は足利尊氏か「長寿禅寺」

 建長寺から小袋坂を下って、明月院踏切へさしかかる途中の左側の小高い石段の上が長寿寺である。亀ケ谷坂はこのお寺の脇へ下りてくる。
 石段を昇ると山門前にはこの坂の象徴亀公をふまえた石塔がある。なるほど、亀は万年というから、それで長寿寺か。昔の人は智慧がある。
 開山は古先印元。開基は足利尊氏といわれる。
 開山は古先印元(こせんいんげん)禅師。創建は1323年から1336年頃。開基は足利尊氏。
 足利尊氏が自邸の跡地に創建、尊氏没後に子の足利基氏が堂宇をととのえたという。