調和をたいせつにする日本人の美徳!

“ 日本人は、「和をもって貴しとなす」が社会に根づいています。自己主張し過ぎると敬遠されます。そのためか、日本語の「曖昧さ」が通用しています。
 その背景は、台風や地震、干ばつ、洪水などの自然災害が多く、逃げる場所も無く、助け合いを行わなければ生存できませんでした。
 生物の生き残りの原則は「助け合い」です。それを継続・定着させるのが「風土」です。
 現在、外国との接触が増え、日本の学校では外国語教育が拡大しています。しかし、「和をもって貴しとなす」は、壊さないでほしいですね!”

ペットは働きかければ応えてくれる!

“ ペットは人の健康に役立つといわれています。特に犬は、散歩しなければならないので、からだに良いと、また、散歩で出会う人とのつながりも出来ます。
 ペットは、ストレス社会には気分転換に多いに役立つと。
 ただ、マンションや貸家では、まだペットを飼うには制限があるところが多いようです。そのためかペットロボットが売られています。
 現在ペットを飼っていなくても、むかし、特に子供時代にペットを飼った経験があると、何十年経っても覚えているものです。ペットも時空を越えてつながっているのですね!”

「砂上の楼閣関係」の人眼関係!

 人との付き合いが長続きする人と、そうでない人がいます。
 数年ぶり、数十年ぶりに会っても、何の違和感もなく、むかしどおりのに話しが出来る人は、気づかいをしないで付き合っていた人ですね。
 そのような人がたくさんいる人と、そうでない人の差は何なのでしょうか?
 内気で人見知りの人が気を許した人は、やはり長続きする人が多いようですね!

人の言うことは「聞く」ではなく、「聴く」!

 人とのつながりは「聴く」ことで始まります。「聴」という字は、熱心にきく・聞きとどける・耳をすまして聞く、という意味に加え、聞き入れる・ゆるす、といった意味もあります。
 目でしっかりと相手を見、自分の意見はともかく、まず相手の話を聴く、相手の話が終わってから、場合によっては、後日自分の考えを言うくらいのつもりでいたほうが良いのでしょうね。なかなか出来ないですけどね!

絶えず意識が相手と戦っている人!

 人と接するとき、どのような態度や状態で相手と対応するかで、相手はこちらを判断します。
 「群(む)れない・媚(こ)びない・靡(なび)かない」(広島県人の気質という人がいます)が出来れば、自分というものを保つことが出来るのですが、これが出来ないと、自分というものがなくなってしまいます。
 自分を失ってしまうと、まわりに左右され、その上、自分を否定的に考えてしまうこともあります。
 地域の風土にも依りますが、「自分」というものを、気楽に、大切にしてほしいものです!

伝え上手な人は沈黙を利用!

 最近、若い人達の間では、話すスピードが早くなっているようです。大学の講義なども早くなっているようです。
 話すスピードが速ければ、当然、情報の量が増えます。と同時に、自分で考える時間が少なくなるのでは、と心配です。
 ネット社会になり、情報の量が多くなり、それに加え、生成AIが進化し、自分で考えることが少なくなり、自分は優秀だと思い込み………。
 どんな情報であれ、その情報をもとに、自分でコメントを創り出す作業を続け、なんとか自分で考える作業を続けたいものです!

堂々と相手の目を見て話す!

 「目を見て話す」時間の長さが、親密度に影響しているのでしょうか?
 それとも、話す内容に興味があるかどうかの度合いが、影響しているのでしょうか?
 経験上は、ただ一緒に居る時間が長い方が、多くの場合親密度が高いようです。一緒に暮らしている家族がそうですね。ただし、干渉しすぎないこと。
 目を見て話せる相手は、比較的接触の時間が少なくても、気楽にいることが出来るようです!

被災地の方々が極めて冷静で!

 地震災害が増えてきています。それも冬の季節に起きています。温暖化で地球の温度が上がると、冬場に起きるのでしょうか??
 日本においては、災害時は盗難などの犯罪はあまり起きなかったのですが、最近は少しずつ増えてきているようです。
 子供が育つ環境が影響しているのでしょうか。
 昔は、ガキ大将がいて、安全対策がされていない自然の中で遊ぶことが多く、ガキ大将が年下の子供達の安全を守っていました。
 下の子は、そのような行動を見て、いろいろと学んでいました。当事は4、5歳から12、15歳くらいまで一緒に遊ぶこともあり、体力差がかなりある中で、安全を守って遊ぶノウハウがあったようです。
 このような環境で育っていたので、災害で弱っている人達にも、いろいろな配慮が充分に出来ていたのでしょうね!

世間話であろうとも真剣に聞く姿勢で臨む!

 話しをする時、「すれ違い」が時々発生します。相手の話をよく聞いていた時でさえ、発生することがあります。
 特に、男性と女性が話しているのときです。これは、基本的に脳の構造が異なっているためでしょう。
 それと、育った環境の違いでも、すれ違いが発生しているようです。
 例えば、ロシアのように戦争で死ぬことがそれほど苦ではない国です。
 第二次世界大戦では、ソ連軍の戦死者は2700万人から30000万人だったそうです。中国が2000万人位、それに対して日本は300万人位だそうです。日本の10倍の戦死者を出しながら、戦争に対して否定的ではないのです。
 このような風土の違いがあると、なかなか話しが通じないですね!

最も話しにくい相手はどんな人ですか?

 高層のマンションが林立する所に住む子供達、いろいろな人と話したり、人々の行動を見たり、何かしらの接触があるのでしょうか?
 自然などと接触する機会があるのでしょうか?
 他の人、自然とのふれあい、この体験がないと「加減」というものが身につきません。
 都内の高層マンションが林立している地域には、お店も少なく、人が集まる場所も少ないようです。公園があっても、親が危険だと教え、子供が自由に遊ぶことが出来ないようです。
 そのまま大人になってしまうと………!

人は教えを請われることが好き!

 「教わる」ことは何歳になっても重要なこと。歳をとっても、若い人たちからお教わりたいものです。特に技術の変化が激しい現代、若い人たちから、素直に教わりたいものです。
 若い人たちも、核家族化し、子供時代から多くの大人との接触が少なく、教わるチャンスが少なくなっています。
 年配者も、若い人たちも、子供たちも、お互いに教えあう場が広がるといいですね!

まずはほめてから、問題点を指摘!

 ビッグモーターの事件で、改めて「まずはほめてから、問題点を指摘」という原則の大事さを考えました。
 「ほめてから、問題点を指摘する」には、冷静さと、解決の方向性が分かっていないとできません。
 まずは自己研鑽が必要なのですが、生成AIが助けてくれるようになると良いのですが、はやくできるようになってほしいですね!

八方に気をくばるは、さしたる効果はない!

 情報化社会は、「気配り」が重要になるのでしょうか。SNSなどでは、自己主張も簡単にできます。「気配りなどどうでも良い」ということも成り立ちます。偽名も使えますので、より気配りなど考えなくなってしまいます。
 そうであるからこそ、「気配り」が重要なのでしょう。これは、見る側が進化するしかないのでしょうか?

見返りを期待しないこと!

 豊かになったためか、周囲の人達とのつながりが薄くなってきています。また、ビジネス感覚が広く定着したためか、損得だけで物事を考える人もいます。
 しかし、人とのつながりは大事にしたいですね。それには、相手との直接の損得ではなく、社会全体での損得を考えなければならないのでしょうね。
 話しは違いますが、川の水も綺麗になりすぎて、魚や貝の生活環境に影響が出ています。人間もアレルギー持ちの人が増えています。
 ある一面だけ考えての行動は、思いがけない悪影響をおよぼしていることもあるのでしょうね!

人生の本当の姿にふれる!

 経営コンサルタントのように、「建て前」中心でやっていると、普及し始めた「生成AI」に仕事を奪われてしまいます。また、歳をとって仕事を辞めたとき、自分の考え方が狭くなっており、その後の人生も狭くなってしまいます。
 これからは、いかに感性を磨き、それを生かしていくかが、問われてきます。自然に学び、歴史に(主流ではない歴史も)学び、ホンネで付き合える人を見つけ、多様な生き方を見つけることが重要になるのでしょうか!

育つ環境・教養の度合いによる差!

 孤立した人が増えているのでしょうか?
 多様性が受け入れられない社会になっています。
 現在は、1つの正解を求める社会になっています。そのためか、生成AIというものも出来てきました。論理的な思考をする過程で、答えを一つにしようと、情報を整理していきます。その方向から外れた情報は、除外されていきます。
 それは、人に対しても、同じように行われているようです。
 しかし、答えはいくつもあって良いのです。特に日本では「好い加減」が通用していたのですから。
 専門家は、生成AIに置き換わっていくのでしょう。いまから「好い加減」に多様な答えを許容していかないと、答えは1つ、としてきた専門家は、苦しい社会になっていくのかも知れませんね!

なんでもほめる、なんでもほめる!

 ネット社会になると、人に会っても「ほめる」ことが難しくなるのでしょうね。多くの人に合わないと、人それぞれの良いところを見つけにくくなります。
 まして、子供時代から、近所の大人達と話しもしないで育ってくると、様々な人を見分けることも苦手になるのでしょうね!

隠された憎しみは仮面をかぶる!

 核家族になり、都会では、自然の中での体験が減り、周りの人たちとの接触が減り、Netでのやりとりが増え、子ども時代から「加減」というものが身につかなくなくなっている子どもが多いようです。
 この「加減」というものが身についていないと、「Yes」か「No」という選択が中心になり、その間の選択が出来なくなります。
 それに、学校教育も「Yes」か「No」という評価になっているので、状況に応じた「加減」を、体験することが少なくなっているのでしょうね!

相手のことをよく観察し「ほめる」!

 最近ネットの普及で、人を直接観察し、人同士が直接コミュニケーションをとる経験が少なくなりつつあるようです。
 ネットでつながっていることと、直接人同士がつながっていることが、同じと思っている人もいるようです。
 人同士が直接つながりをもつ場合は、相手を「良い」「悪い」で評価せず、「ああ、そうなのか」で止め、評価をしないことが大事だと思います。
 学校教育で、「良い」「悪い」の評価の延長で大人になっているためか、何でも評価してしまうようです。
 しかし、事実は、ありのまま「そうなんだ」で止め、点数づけはしたくないですね。料理もそうですが!

相手のことばかりに気持が向き過ぎてしまう!

 子供の時に「自分」というものを、どのように造っていくか。知識教育だけでは、「自分」というものを造ることは出来ないのでしょう。
 自然を五感で感じ、自分でどのようにその環境(自然)に対応するか、考える経験を積み重ねることが大切なようです。
 ただ、現在は子どもの事故を防ぐため、安全対策がされているため、本当の思考力は身につかないのでしょうが。そうかといって、危険な環境を放置することもできないので、難しいですね!