尾道 太宰府に左遷さる道真が寄った「御袖天満宮」

 石段は、長さ5.2mの一本の花崗岩。
 菅原道真公着衣の袖をご神体とする神社で、大林宣彦監督の映画「転校生」で主人公が石段を転げ落ちるシーンのロケ地としても有名。またテレビアニメ「かみちゅ!」で境内モデルとなった神社。
 雷が鳴ったとき、「くわばら、くわばら」と唱えませんか?
 死後に雷神となった菅原道真は、復習のために各地に雷を落としたという伝説があります。
 しかし、自分の領地桑原には落雷がなかったところから、「私はあなたの故郷の桑原に住んでいる者ですよ。雷を落とさないでください。」という願いを込めて「くわばら、くわばら」と唱えるようになった、ということです。

自分の思い込みで世の中を見ている!

 「思い込み」というものは、特定の分野に所属していればメリットがあります。しかし、その分野を離れたとき、または、その分野が大きく変化したとき、それはデメリットとして働き出します。過去にメリットがあっただけに、それを否定することが難しいのです。定年まで同じ分野にいると、ますます、そこから脱出することが難しくなっていきます。遅くとも五十代からは、雑学に取り組みたいものです。それができれば、引退後も新しい人間関係をやすくなります!

鎌倉 ぽたもちを日蓮に差し上げた伝説「常栄寺」

 黒塗りの山門があり、門柱の左右に、あざやかな朱塗りの鎌倉彫で作られた聯(れん)といわれる木板がかかっています。右に「ぼたもち寺常栄寺」、左に「たつのくち くびのおんざを ふしおがむ 婆のまごころ ぼたもち常栄寺」という歌が彫られています。
 「棚からぼた餅」といいますが、ここと関係があるのでしょうか?

自分のことしか考えなくなると思い込みが生まれる!

 私たちは、個人的な願望に合う事柄は、すべて真実のように思ってしまい、そうでないものは、私たちを激怒させる。これは自分の「思い込み」によるものです。「思い込み=専門知識」ともいえるので、社会人であればプラスに働くことが多いのですが、そのため、思い込みから脱出することは簡単ではありません。書籍であれ、ネットであれ、テレビ番組であれ、自分の興味があるものにアクセスしてしまいます。ネット検索ではAI機能が働いているので、便利なのですが、視野が狭くなりがちです。異質な情報はなかなか見つけられません。最近はラジオのほうが情報の幅が広いようですね!

尾道 室町時代の様式の特徴をとどめる「西郷寺」

 1353年の開基。鎌倉時代末期の正慶年間、遊行六代一鎮によって開かれたと伝えられています。当時は「西江寺」と称されていました。
 西郷寺山門は1362~68年また1395年大一房住持の発願によって建立されたと伝えられています。一説に大一房は備後相方城主の夫人ともいう。板蟇股 破風 懸魚 軒などに室町時代の様式の特徴をとどめています。
 江戸時代前期頃までは、この寺の大門通りには「尼寺十二坊」があったとか、江戸中期以後、川が埋め立てられ、「西郷寺」になったとか。

モノがあり余っている時代、心の中で何か寂しさが!

 モノづくりは、「お客様が何を望んでいるか」で決まるもの。しかし、新コロナで社会が変化しているとき、いままでのモノづくりの延長で考えている人もかなりいるようです。変化の時代は、商売を「やる側」から考えるのではなく、原点に返り「お客様側」から考え直すことが重要なのでしょう。公的補助にしても、キッチンカーに補助金を出すとか、昼間キッチンカーが住宅街に駐車できるように、昼間空いている一般家庭の駐車場に、キッチンカーと接続できる電気・上下水道の設置代を補助するとか(法律の見直しも必要なのでしょうが)、お客様指向で考えることが大事なのでしょう!

福山 鞆の浦で二番目に古いお寺「医王寺」

 「医王寺」は他の社寺から少し離れた山手に位置しています。医王寺までの坂道は少なからず急で遠いのですが、境内からの眺望はその苦労に十分値するものです。
 医王寺の足下の街道沿いには、江の浦・「焚場」の集落が道沿いに細.長く広がり、その向こう側に鞆港が大きく弧を描いています。さらに、港の北に広がる鞆の町並みの向こうには、仙酔島が望まれます。晴れた日の早朝にここを訪れれば、その景色を茜に染める朝日に出会うこともできます。

異質なルートから情報を集める習慣を!

 現代は「思い込み」という症状が、蔓延しているといっていいのでしょう。その原因は、知識教育と多量の情報が手軽に手に入るためなのでしょう。そして今は、自分が知りたい情報を、それもAIを介した情報を選んでしまうため、思い込み病が蔓延しているのでしょう。その解消法は、多彩な情報をを手に入れ、自分の五感を通じた体験や経験から、考えて行くしかないのでしょう。「思い込み」は思考の停止であり、あたまの老化につながるのでしょう!

知識の組合せ遊び (risetu.net)

厚木 弘法大師の開山といわれる「松石寺」

 弘法大師が荻野富士(華厳山)と称する山頂付近の岩に経文を記した石を納めたことがことが起源とされている寺院。
 寺院はその山のふもとにあってもと華厳山乗碩寺といった。その後興廃を繰り返したが、天正時代徳川家康は当寺を訪れた際寺の由来を聞いて感じ、松平と経石をからめて松平家が石のように堅固に栄えるようにと短歌を読んだ。その後この寺を松石寺と改称した。 「幾千代もかはらて松の栄えかし みのりの石のいはほならへて」-(家康)
 当初は真言宗で、華厳山乗磧寺と号していた。その後林徳院と改号したこともあった。1475年宗派を曹洞宗に改宗し、寺号も旧に復した。1591年に華厳山松石寺と改めた。

今日の幸せと充実に意を用いてきたが!

 「現在」をしっかり見ていれば、安定した世の中であったなら、しっかりした生活ができるのでしょう。しかし、つい先の未来を考えてしまい悩んでしまいます。ただし、戦争や疫病が蔓延したときは、現状把握と同時に、過去も、未来も、しっかり考える必要があるのでしょう。新コロナの新規患者数が、広島市では急激に増えたが、現在、他の拡大した都府県に比べ、かなり減少しています。原因はまだ分かりませんが、原爆の被災教育による危機意識の差が影響している可能性はあるのでしょうか?

鎌倉 鎌倉幕府、滅亡の地「東勝寺跡」

 東勝寺は、執権北楽泰噂の招きで退耕行勇が開いたと伝えられている大寺院でした。発掘調査によると、階段状の石段が造られ、とりでのようなっくりになっていたらしいことがわかってきました。出土品には、北条氏の家紋である三鱗(みつうろこ)の入った瓦や、中国から渡ってきたと思われる青磁の碗などの破片が見っかっています。
 1333年(元弘3年)5月22日、新田義貞の鎌倉攻めにより屋敷を焼かれた北条高時は、この東勝寺に一族を集め、堂に火をかけて一族郎党800人余りとともに自害したといわれています。発掘調査の結果火災の跡が見つかりました。

相手の自由を侵害しない!

 自己中心は、二十代の前半までに何とか卒業したいもの。もちろん、もっと早く卒業する人もいます。しかし、老後まで自己中心を続ける人もいます。今回の新コロナ伝染病に接すると、自己中心の人が、少しづつ少なくなっていきます。死者が人口の半分くらいまで行くと、自己中心の人は、生き残っていけなくなるのでしょうか!

尾道 織田信長を呪い殺す“調伏”か?「西国寺」

 西國寺は天平年中、行基菩薩創建と伝えられ、真言宗醍醐派の大本山。 ある日、尾道に立ち寄られた行脚の中の行基はその夜、加茂明神の霊夢を見て、その御告げによってこの地に開山したと言い伝えられます。
 西国寺は平安時代の院政期より朝廷との関わりが深く、官寺として大きな影響力を持っていたと考えられます。
 西国一の大寺。徳島大学の学者グループで、この寺の「古文書」が解読されている。その中で、織田信長を呪い殺す“調伏”がこの大寺で行われた、とあります。
 昔から真言密教は、どろどろとした人間の最も暗部の欲望を開放する宗教。人を生かすことも、人を殺すことも宗教の重大な役目だったと。だから信長は光秀に本能寺で殺されたのだろうか? と考えてみるのも面白い。

人工的な環境にいるから!

 環境の変化に適応してこそ、生物は生き残ることができます。植物は移動できませんが、その細胞には環境さえ良ければ寿命がないようです。動物は自分に適した環境を求めて移動ができます。恐竜の子孫である鳥類は、飛ぶことができるため、より自分に適した環境で暮らすことができます。そのてめ、8千万年かけて恐竜から進化し、生き残っているのでしょう。ヒト属はおよそ200万年から進化してきたので、鳥類に比べれば、40倍も古い時代から生き残っているのですね!

福山 子授け・安産.航海安全祈願の「阿武兎観音」

 岬の岩頭に建つ朱塗りの観音堂は、その美しさから安藤広重(歌川広重)の浮世絵や志賀直哉の「暗夜行路」などにも紹介されており、今も瀬戸内の自然と調和した見事な景色をつくり出しています。現在、観音堂は国の重要有形文化財に指定され、安産・子育ての観音様として信仰を集めています。

白人たちが天然痘をインディアン散らした!

 伝染病が流行りだし、それに対する危機意識が問題になっています。こんな事態になって、やっと「平和ボケ(戦争時に自分の命を守る意識の欠如)」と「伝染病に対する危機意識は同じようなもの」と思うようになりました。やはり、安全な環境で育っていると、危機意識も育たないのですね。公園などの遊び場も、安全になりすぎ、人しか通れないような狭い道もほとんど舗装され、平地に多くの人が住み、鉄条網など見ることもなく、危険は少なくなってしまいましたね。「危険ボケ」は種の保存にとっては「無謀」なのでしょうか?

鎌倉 疫病蔓延で退治した蜘蛛を祀る「八雲神社」

 鎌倉最古の厄除開運の神社。平安末期に疫病が流行。その時に、源義光が京都祇園社の祭神をここへ勧請したのが始まり。
 古くは祇園天王社・祇園社と称したが、明治維新に八雲神社に改称された。
 1080年頃に大発生した黒蜘蛛が疫病を蔓延させたが、当時「蜘蛛は益虫」とされていたため駆除ができなかった。 そこに中央より新羅三郎義光(八幡太郎吉家の弟)が、「朝見た蜘蛛は逃がせ、夜見た蜘蛛は殺せ」というスローガンをかかげ、多くの蜘蛛を焼き殺し駆除に成功した。その後、蜘蛛のたたりを恐れ神社が建てられた。当初「焼蜘蛛神社」では気持ちが悪いため、間もなく「祇園天王社」と改められ、その後、「八雲神社」になった。

友人はひとりでにやっては来ない!

 「友達を作ろう」と思っていると、なかなかできないものですね。自分の”ありのまま”で、人と接していると、友達が出来てきます。自分が演技していると、友達が出来たと思っていても、つきあいは短いものです。しかし、情報化時代、”ありのまま”で生活することが、昔よりは難しくなっているのでしょうか?

尾道 自然石に彫られた十六羅漢「済法寺裏山」

 済法寺の裏山斜面に多くの磨崖の羅漢像が刻まれています。 済法寺の裏山の一面に広がる巨岩に、釈迦如来座像を頂点として、4段ぐらいの岩群に、光背状に彫りくぼめて半肉彫りする十六羅漢磨崖仏があり、江戸時代の尾道石工の技術の切れをノミ跡に見ることができます。
 ただし注意が必要です。見学用の道がないので山で遊んだ経験のある人はともかく、山遊びの経験がない人は、双眼鏡など準備して下から見てください。特に枯れ葉が落ちているシーズンは、滑りやすいので注意してください。

ライバル意識の本質は嫉妬にある!

 嫉妬心は、「自分の中で、どのようにしてメリットにつなげられるか」ということのようですね。嫉妬心が、自分の外に出てしまうと、なかなか困った問題を引き落としてしまいます。自分の中で、メリットにできた人は、充実した人生になっていくのでしょうね。年齢に関係なく、そのようにしたいものですね!