立秋、秋の気配が漂ってくる!

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 最近は温暖化のため秋と春が短いですね。でも、五感で自然の変化を感じ取ることは大事。その感じ取った感覚と言葉を関連付けることは、とても大事です。五感と言葉の関係がわかっていないと、言葉を聞いたとき、その自然を思い浮かべることができません。自然を思い浮かべることができれば、脳内から癒やしの物質が分泌されます。閉じこもりになると、五感も鈍くなっており、癒やしの物質も出が少ないのでしょうか?

鎌倉 風情のある住居のような「長寿禅寺」

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 建長寺から小袋坂を下って、明月院踏切へさしかかる途中の左側の小高い石段の上が長寿寺。亀ケ谷坂はこのお寺の脇へ下りてくる。
 石段を昇ると山門前にはこの坂の象徴亀公をふまえた石塔がある。なるほど、亀は万年というから、それで長寿寺というのでしょうか。昔の人は智慧があるのですね。
 開山は古先印元。開基は足利尊氏といわれています。

「断食」で身体の声を聞いてみる!

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 やっぱり食べてしまいがちですね。食べ過ぎでDNAスイッチがONになってしまうと、孫の世代にも影響が出るそうです。冷静に考えると、人類の歴史のほとんどは言葉がない時代です。ではどのようにして先人の経験を引き継ぐか、それは各細胞のDNAスイッチをONやOFFにして、引き継いでいくしかないのでしょう。言葉を持たない人間以外の生物も、先祖の智慧を引き継いでいるのでしょうから!

尾道 生口島の耕三寺「未来心の丘」

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 広さ約5,000平方メートルお大理石の庭園で、彫刻家  杭谷一東(くえたにいっとう) 氏にその制作を依頼したもの。使用されている白い大理はイタリアのもので、船で運んだものです。
 瀬戸内周辺は花崗岩の産出地で、それを知っている人は違和感を覚えるのでしょうが、作家はそれを狙ったのでしょうか?
 杭谷一東氏は、尾道市の北の世羅郡甲山町出身、彫刻家 圓鍔勝三氏に師事、その後、イタリア国立アカデミー(ローマ)彫刻科入学し、同アカデミーでファッツィーニ教授に師事した。

韓国の「他者中心」の生き方!

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 韓国の社会は、「他人の顔色」をうかがいながら、生きていかなければならないのでしょうか? 確かにデモで掲げている看板は、種類が少なく、デザインもまったく同じで、香港のデモの看板とはまったく違います。韓国のデモは、日本の感覚では、アルバイトでデモをしていると思ってしまいます。まるで、日本のいじめグループを、国レベルまで拡大したといった印象すら受けてしまいます!

鎌倉 蛭子は「えびす」とも読む「蛭子神社」

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 昔、本覚寺の鎮守でその境内にあった夷三郎(えびすさぶろう)をまつる夷堂が、明治時代になって寺と分けられてこの地に移り、蛭子神社と名付けられました。この場所には、もと小町下町(こまちしもまち)の鎮守の七面大明神(しちめんだいみょうじん)が、小町上町(こまちかみまち)の宝戒寺の鎮守であった山王大権現(さんのうだいごんげん)とー緒にまっられていました。
 本殿は、1923年(大正12年)の関東大震災で壊れましたが、1933年(昭和8年)改築されました。

人間関係は鏡のようなもの!

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 今の子供の多くは、人類の歴史上、外で遊ぶことが最も少なくなっているようです。これは、「人類が生き残ってきたノウハウはもういらない」という判断を、行った上で選択した結果なのでしょうか? 子供時代に、五感を通じた情報処理の基礎を訓練し、右脳と左脳のバランスをうまく調整し、環境に適応できたから、数十万年の歴史をつくってこられたのでしょう。恐竜(鳥たち)の歴史には及ばないのですが!

厚木 多くの古い石仏がある「金剛寺」

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 807年(大同2年)に弘法大師によって建立されたと伝わる。古くは、七堂伽藍の備わった寺院だった。飯山観音の入口ともなっている小鮎川に架かる朱塗りの橋は「庫裡橋」と呼ばれ、金剛寺の庫裡に向かって架けられていたといわれている。
 鎌倉時代には、鎌倉の覚園寺や金沢の称名寺とも繋がりのある律宗寺院として栄え、相模国の華厳学研究の拠点としても栄えた。 天文年間(1532~1554年)に曹洞宗に改宗され再興されている。

怒り出したら心の中で「1、2、3……」と!

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 “頭にきたら”一呼吸置いて「1,2,3~、10」と心の中で数える。なかなかできないですね。あおり運転をする人は、まったくできていないのでしょう。なぜなのでしょうか? 料理では1つの食材を、いろいろと多彩に料理できるにもかかわらず、頭にくることは、なぜ「怒る」という料理しかできないのでしょうか!

福山 鞆湾の入口の守り神「淀媛神社」

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 神功皇后が三韓征伐のため西国下向の際、鞆の浦の地に寄泊しました。帰路携帯していた「鞆」を奉納し、海神・大綿津見命を祀った際に、妹君の淀媛命を祭主として奉任させました。その神社が沼名前神社(渡守神社)の起源です。
数年後に淀姫命は鞆の浦を去りましたが、後世その特を偲び氏神として奉斎し、鞆の浦湾の入口の丘の上に鎮座する護り神として現在に至ります。
現在の社殿は大正3年に建立。平成13年に修復。

表情で、きれいにも、チャーミングにも!

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 女子ゴルフの渋野日向子の笑顔が話題になっています。全英女子オープンで、“スマイルシンデレラ”とのニックネームがつけられ、優勝。やはり「笑顔」は、幸運を呼び込むものですね。どんな場面でも、“屈託のない笑顔”ができることは、何よりにもまさるものですね!

鎌倉 観音さまの安置によい場所「杉本寺」

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 鎌倉で最も古い天台宗の寺です。寺の伝えによると、731年(天平3年)行基菩薩が関東地方を歩いたとき、鎌倉の大蔵山から町を眺め、
 「こここそ観音さまを安置するのによい場所だ。」
と思い、人間の大きさぐらいの仏像を彫刻しこの山に安置したそうです。現在、本堂内に本尊として三体の十一面観音像がまつられていますが、内陣の左側に立っている平安時代のころの作という本尊がこれだといわれています。

重要な意志決定は午前九時から十一時に!

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 「決めごと」は、A.M9時~11時までに行うこと、とのこと。統計的な分析結果なのでしょう。ただ、ここでいう「決めごと」は、思考的なものごとに対する決めごとであり、五感を通じた情報に基づく「決めごと」は、対象ではないのでしょう。五感による情報は、その都度決めなくてはならないものが、ほとんどですから。なぜ違いがあるのでしょうか?

尾道 浄土寺山の中腹に棲む不動様「不動岩」

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 浄土寺山は瑠璃山の別名をもつ。
 その8合目あたりに巨石が「不動岩」です。巨岩に不動明王が刻まれています。
 不動明王は、真言宗をはじめ、天台宗、禅宗、日蓮宗等の日本仏教の諸派および修験道で幅広く信仰されています。
 密教の根本尊である大日如来の化身で「お不動さん」の名で親しまれ、大日大聖不動明王、無動明王、無動尊、不動尊などとも呼ばれており、特に日本において根強い信仰を得ております。真言宗では大日如来の脇待として、天台宗では在家の本尊として置かれる事もあります。

ネガティブな思いにとらわれる!

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 今年のように、お盆の時期に台風が来てしまうと、予定が大きく狂ってしまいます。ここは「神様が、エネルギーを使いすぎだよ」と警告している、しょうがないと、むかしの人は考えたのでしょう。「雷神」という神様がいます。雷神は人びとを恐怖のどん底に突き落とす崇り神様ですが、一方で、雷神が稲穂と交わることで、稲は実を結ぶと信じられていました。実際に、空気中にある窒素(空気の80%)に、雷=電気が流れると、窒素酸化物になり、これが雨に溶けて降り注ぐことで作物の肥料になります。このように、日本の神様には二面性があります。ただ、昨今の人々には、「自分だけが正しい(思い込み)」、という一面だけの人が増えているようですね。世間の犯罪を見ると!

鎌倉 北条家歴代の尊崇を集めた「覚園寺」

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 古義真言宗京都泉涌寺派。もとは真言・律・禅・浄土の四宗兼学であったが、明治初年に兼学が禁止されて本山泉涌寺が古義真言宗を標榜したのに伴って古義真言宗となった。開山は智海心慧、開基北条貞時。鷲峰山真言院覚園寺と号す。
 この寺の前身は建保六年(1218)に北条義時が建てた大倉薬師堂だという。それ年寺に改め覚園寺としたのは永仁四年(1296)のことである。元冦の難を逃がれることを祈ってのことであうった。鎌倉時代を通じて北条氏の滅亡後建武中興に際しては後醍醐天皇の勅願所となった。建武の中興後は足利氏の祈願所ともなり、代々の為政者に保護されている。

来年の夏休みの計画づくり!

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 今年の夏休みは、台風の影響で日程が大きく変わった人も、多かったのではないでしょうか。その記憶が残っているうちに、来年の夏休み(あるいは正月)の計画の準備に入ったらどうでしょうか。気候が読めない時代、一つだけの計画では心配です。屋外の観光だけでなく、屋内でできる体験教室など、また、交通手段も第1候補だけでなく、第2、第3と、あるいは、追加宿泊なども、考えなければならないようですね!

厚木 本殿は最古で最大の「荻野神社」

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 荻野神社は、かっては石神社と呼ばれ、「新編相模国風土記稿」によれば、自然石を御神体とし、牛頭天王(ごずてんのう)を合紀し、荻野三村の鎮守で社領三石の御朱印は天正19年(1591)に附されたとあります。また銀杏樹(いちょう)は神木であると記されています。
 厚木市内ではもっとも古く、かっ規模の大きい社殿です。桁行(間口)9尺、梁行(奥行)6.7尺で内部は前後二室に分かれ、前室は板敷、後室は土間のままです。

外国にも「お盆」に似た文化がある!

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 日本のお盆に相当する行事は、海外にもあるようです。しかし、いろいろな文化をつくり出しながら、その多くを過去に置き去った国も多くあります。日本は海外から入ってきた文化を、洗練しながら現在まで引き継いできているものが多くあります。「文化は、現在に生きているからこそ文化である」と思います。歴史は、単に記憶するものではなく、現在に生かすための歴史であってほしいものですね!

鎌倉 開基の北条時宗の廟所「仏日庵開基廟」

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 中国から日本へ渡来した無学祖元は、元の襲来を前にした北条時宗に、一喝を加えて励ました。「莫煩悩(まくぼんのう)」=「煩悩する莫(なか)れ」現在の情況をありのまま見ることを怠り、ありもしない妄想にふりまわされてノイローゼになることを戒めたのだ。元軍20万の妄想を払うと、作戦がはっきりしてきた。
 北条時宗は元寇を退けたものの、異国相手では没収できる土地がなく、手柄のあった者にもわずかな恩賞しか与えられなかった。このため、多くの武士が幕府に反感を抱く。こうして鎌倉幕府は衰退へと向かっていくのだった。