宝亀山 長寿禅寺(臨済宗建長寺派)
鎌倉市山ノ内1503  標高 37.3m
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 建長寺から小袋坂を下って、明月院踏切へさしかかる途中の左側の小高い石段の上が長寿寺である。亀ケ谷坂はこのお寺の脇へ下りてくる。
 石段を昇ると山門前にはこの坂の象徴亀公をふまえた石塔がある。なるほど、亀は万年というから、それで長寿寺か。昔の人は智慧がある。

 開山は古先印元。開基は足利尊氏といわれる。

 開山は古先印元(こせんいんげん)禅師。創建は1323年から1336年頃。開基は足利尊氏。

 足利尊氏が自邸の跡地に創建、尊氏没後に子の足利基氏が堂宇をととのえたという。
 長寿寺は、初代鎌倉公方(くぼう)足利基氏(あしかがもとうじ)が父尊氏(たかうじ)のため、その屋敷跡に1374年(応安7年) に亡くなった古先印元(こせんいんげん)を開山として、1323年(元亨3年)~1336年(建武3年)ころに建てたといわれ大きな寺でした。一説には、足利尊氏が建てたともいわれていますが、尊氏の法名(ほうみょう)が関東では、長寿寺殿とされたのはこの寺の名が由来だといわれます。

 鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」より
 山ノ内建長寺から小袋坂を下って、明月院踏切へさしかかる途中の左側の小高い石段の上が長寿寺である。亀ケ谷坂はこのお寺の脇へ下りてくる。
 石段を昇ると山門前にはこの坂の象徴亀公をふまえた石塔がある。なるほど、亀は万年というから、それで長寿寺か。昔の人は智慧がある。
 開山は古先印元。開基は足利尊氏といわれる。

「鎌倉 趣味の史跡めぐり」 長峰五幸著より




書院
 書院より(前に観音堂)
 裏庭
 足利尊氏も織田信長も、「この世は幻のようなもの」といっている。
 そうはいいながらも、尊氏も信長も懸命に戦って人生を駆け抜けた。
 違いは、尊氏は家系(男系)をある程度残すことができたが、信長は残すことが出来なかった。
信長にとっては「この世は幻のようなもの」でした。


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