鎌倉 龍口寺輪番を勤めた「本龍寺」

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 この寺は、輪番寺の中で日蓮宗の寺としては最も早く建てられたものです。山門を入った正面の本堂には、田辺ガ谷の雨乞いの日蓮上人像や大黒天、鬼子母神、十羅刹女(じゅうらせつじょ)像などが、本尊の三宝本尊とともにまつられています。また、室町時代の作で、彩色も美しい日行上人像も安置されています。

心の重荷は書き出すこと!

 「こころの重荷」というものは、過去、または、未来を考えたとき、マイナス思考が作用すると、「こころの重荷」が発生するのでしょう。動物のように「いま現在」だけに生きることができれば、こころの重荷は発生しないのでしょうか。ということは、「言葉」がなければ、過去や未来について考えることもなくなり、「こころの重荷」はなくなるのでしょうか?

厚木 岡津古久にある「子安神社」

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 子安神社の創立は不詳でありますが、古社調査事項取調書(明治二十九年(1896)によれば文明十八年(1486)以前の創立であります。
 祭神は木花咲耶姫命が祀られておりますが、配祀祭神として豊宇気命と須佐之男命が祀られております。 古社調査書によれば、境内地には稲荷神社があり祭神は宇加之魂命が祀られておりました。
 祭神木花咲耶姫命は古来から子宝・安産の命として崇められ、人々の信仰も厚く、天正十九年(1591)には神領壱石の御朱印を賜りました。

化石燃料はいずれ枯渇する!

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 CO2の増加問題は、大きく改善する解決策が見つかりません。ただし、これは人間の視点に立った問題です。植物の視点に立てば、CO2増加は植物繁栄のためにはGoodです。中生代ジュラ紀に、動物に実を食べさせ、遠方に運ばせ、繁栄の基礎をつくった植物が、今度は人間に化石燃料を掘り出させ、使わせ、CO2を増加させ、新たな拡大を狙っているのでしょうか!

鎌倉 高台に古い洋館が建つ「浄妙寺」

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 臨済宗建長寺派。鎌倉五山の第五位。山号は稲荷山、浄明寺所在。
 文治四年(1188)に足利義兼が開創、開山は退耕行勇と伝える。はじめは密教系の寺院で極楽寺と称していたが、蘭渓道隆の弟子月峯了然が住職となってから禅剰に改め、次いで寺名も改称するにいたった。改宗時期は正嘉年間(1257-59)のはじめ、と推定されている。歴代には約翁徳倹・高峰顕日・竺仙梵僊・天岸慧広など、名僧が多い。中興開基は足利貞氏。盛時には三門・仏殿・法堂・禅堂・経堂などが軒を並べ、霊芝庵・瑞龍庵・法雲庵等々の塔頭もあったが、震災や火災で滅んだり廃絶したりして、現在は本堂・庫裡・荒神堂等が伽藍を形作りている。

自然淘汰の法則は、その環境に弱い者が消えていく!

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 自然淘汰に、人類も大きく関わっているのでしょうか? 「麦」や「米」などの農作物は、人間を利用し全世界に勢力を拡大しました。麦や米の立場から考えると、「いかに人間を利用しするか」が生き残りのテーマです。牛や馬なども、彼らの立場から見ると、「人間をいかに利用するか}です。植物の立場から考えると、「化石燃料をいかに人間に利用させ、Co2を増やすか」なのでしょう。「人間ってなんなのでしょう?」ですね!

鎌倉 鎌倉公方代々の菩提寺「瑞泉寺」

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 開山は夢窓国師疎石で、1327年(嘉暦2年)二階堂道蘊がこの地に瑞泉院を建てました。この後、南北朝の時代に最初の鎌倉公方となった足利基氏は夢窓国師に帰依して瑞泉寺と改め、1350年(貞和6年)に亡くなると、瑞泉寺に葬られました。以後鎌倉公方代々の菩提寺として栄え、関東十刹に名をつらねました。
 関東十刹とは、室町時代に定められた、幕府が関東地方で保護する臨済宗のお寺の格のことで、五山の次に位置づけられたものです。

肩こりには、からだを温めよう!

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 温泉はからだだけでなく、こころも解放してくれます。まだ、温泉ブームが始まる前、共同浴場めぐりをしていました。1日に4ケ所、共同浴場を巡ります。無料あるいは、100円程度で入れる共同浴場は、山奥にあることが多く、ランドクルーザーで走り回っていました。空気も水もよく、健康的になっていたのでしょう。温泉ブームが始まると、温泉紹介本の取材グループと出会うようになり、共同浴場めぐりは止めてしまいました!

鎌倉 落馬が原因で死亡「源頼朝の墓」

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 1779年、薩摩藩主・島津重豪(頼朝の隠し子の子孫?)が、石段を設けてその上に建てたのが、この墓。
 1198年12月27日源頼朝御家人の稲毛重成の亡妻の供養のために、相模川にかけた橋の完成祝いに出掛け、その帰り稲村ガ崎で落馬した。その落馬が原因で、1199翌年1月13日に53歳で亡くなった。大倉法華堂(現在の白旗神社)に葬むられた。

大人は「勉強」という二文字にとても弱い!

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 大人は、なぜ「勉強」を重要視するのでしょうか? いままでに学校で学んで知識の何%を利用していますか? 基礎になる知識だから、それほどその知識は利用されなくても良い、のでしょうか? テレビでよく見かける「さかなくん」、どれほど学校での知識を利用しているのでしょうか? ネット検索が普及し、調べる方法が身につく程度の勉強ができれば、後は、見つかった情報を組合せ、何らかの「気づきを得る」方法を、練習したほうが良いのではないでしょうか!

鎌倉 北条氏本家の屋敷があったところ「宝戒寺」

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 開山は円観(弘安4ー正平11(延文元)(1281-1356)年)、慈威和尚ともいう。後伏見・花園・後醍醐・光厳・光明の各天皇に戒を授けたことから、五代国師の号を与えられくいる。宝戒寺開山、坂本西教寺中興開山。興国和尚の門に入り円頓戒を承けた。後醍醐天皇に請われて北条氏を呪詛して幕府に捕えられたが、北条氏滅亡後許されて京都法勝寺の住持となる。(大三輪)[文献」『市史』総説編

赤ちゃんは、生後2ヶ月前後から微笑が多くなる!

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 赤ちゃんの微笑は、本能的なものだそうです。しかし、その微笑に反応できない親もいるようです。笑いは健康に良いそうです。たとえ、その笑いが「作り笑い」であっても、プラスの効果があるそうです。赤ちゃんの微笑を見て、大人も笑顔になりましょう。それが、自分の「こころ」と「からだ」を健康にしてくれます!

尾道 天保の大飢饉、救済事業として本堂の改築「慈観寺」

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 本堂は、天保の大飢聾の際に、慧善事業とし豪商橋本竹下(ちっか)が出資して建築されたもの。入母屋造、本瓦葺(平瓦と丸瓦を交互に使う)の二重屋根を持ち、虹梁や蟇股(かえるまた・柱や屋根の重さを支える部材)には忙ぎやかな彫刻が施されている。
 江戸時代、天保の大飢饉の際、尾道地方にも困窮の難民が多く出たが、当時の町年寄橋本・竹下は、その救済事業として本堂の改築を発願し、1834年工を起し1837年竣工したのが現在の本堂である。竹下はこの工事に難民を人夫として雇用し、尾道では一人の餓死者も出さなかった。

生命誕生の瞬間、何が起こっていたのか!

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 生命の起源は、地球ではなく、他の天体で発生した微生物の芽胞が地球に到達した、という説もあります。隕石の深部の温度は上がらないので、地球に到達できるとか。海は環境の変化が少ないので、適応さえできれば、安定して繁殖が可能だったのでしょう。その後、数十億年をかけて、人類が生まれていったのでしょう。人類の歴史において、海から食料を得ることができた人々は、安定的に食料調達ができたのでしょう。しかし、陸だけでしか食料を調達できない人々は、気候が海に比べ不安定のため、争いが多くなったのでしょうか?

鎌倉 塩嘗(しおなめ)地蔵を収める「光触寺」

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 滑川に架かる光触寺橋を渡り、石段を登って山門をくぐると、光触寺の境内。木々に囲まれた境内に、ひっそりと本堂がたたずんでいる。
 光触寺は、もともと、作阿上人による真言宗の寺だった。しかし遊行中の一遍上人が弘安5年(1282)、このお寺を訪れたとき、一遍上人に帰依したことで時宗に改宗したと言われている。
(「鎌倉なるほど事典」楠本勝治著 実業之日本社)

「がんこ」で「自信過剰」の人とパワハラ!

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 「自信過剰」といわれるが、自信はどのようにして、できてくるのでしょうか。自信のでき方は二つあるように思います。一つは、他人との比較において、できてくるもの。もう一つは、自然の体験の中から、できてくるもの。この二つの自信の違いは、他人との関係での自信は、「過剰」になる危険性があり、自然の体験からできた自信は、謙虚になることだと思います!

福山鞆の浦 多彩な歴史の足跡が「小松寺」

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 瀬戸内の要港にある古刹であり、同寺へは高憎や将軍の足利尊氏・義昭、朝鮮通信使等の多彩な歴史の足跡が刻まれる。
特に、本堂に掲げられた琉球使節の扁額、境内の「琉球司楽向生碑」は、よく知られるところである。
また、境内には昭和二十九年(一九五四)まで、国の天然記念物の見事な巨大・松があり、名所となっていた。シーボルトもその松之図(版画)を収集している。なお、この松は寺伝によると、平重盛が植えたと伝える。

よいことを思えば、よいことが起こる!

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 「人づきあい」は、ホモサピエンスが生き残れた大きな理由のひとつ。ネアンデルタール人よりも、大きな集団をつくることができたので、個人の能力では、ネアンデルタール人より劣っていたホモサピエンスが生き残れた。お互いに良い関係を広くつくり、血縁関係に必ずしもこだわらない大家族をつくり、協力する“しくみ”をつくり、大災害を乗り越えてきたのでしょう!

鎌倉 弘法大師空海の修行の地「成就院」

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 平安時代の初期、真言宗の開祖である弘法大師空海がこの地を訪れ、景勝地だったこの地で数日間に渡り護摩供・虚空蔵菩薩求聞持法(真言を百日間かけて百万回唱えるというもの)を修したという霊跡に、1219年に鎌倉幕府第三代の執権北条泰時は京都より高僧を招き、本尊に不動明王をまつり寺を建立し、普明山法立寺成就院と称した。
 1333年新田義貞の鎌倉攻めの戦火にて寺は焼失し、奥の西が谷に移っていたが江戸時代の元禄期(1688年~1703年)に再びこの地に戻り、僧祐尊により再興され現在にいたっている。

親が神経症的であるとどうなるか!

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 子供の虐待事件は治まらないですね。核家族で、しかも都会での生活だと、まわりの目は届きません。また、届いたとしても、ただそのまま、ということになります。核家族という、人類史上はじめてのしくみでの、子育ての方法・社会のしくみがまた未発達です。もう一度、人類史上初めての「核家族」というしくみでの、社会のあり方を考えなければなりませんね!