子安神社
厚木市岡津古久  標高:68.6
 子安神社の創立は不詳でありますが、古社調査事項取調書(明治二十九年(1896)によれば文明十八年(1486)以前の創立であります。
 祭神は木花咲耶姫命が祀られておりますが、配祀祭神として豊宇気命と須佐之男命が祀られております。
 古社調査書によれば、境内地には稲荷神社があり祭神は宇加之魂命が祀られておりました。
 明治七年(1874)には八雲神社と神明神社が子安神社に合祀され、同年本殿が再建されました。幣殿は明治十一年(1878)に、神楽殿は明治十五年(1882)に、拝殿は昭和四十五年(1970)にそれぞれ再建されました。
 祭神木花咲耶姫命は古来から子宝・安産の命として崇められ、人々の信仰も厚く、天正十九年(1591)には神領壱石の御朱印を賜りました。
 境内には御神木の楠木がありますが、樹齢八百年以上の古木と言われ、見るからに子安神社の歴史を物語っています。
 崇敬の深い氏子により、昭和六十一年(1986)に幟竿が、平成十一年(1999)に幟が新調奉献されました。毎年本祭礼が四月の第二日曜日に、夏祭りが七月の第三日曜日に執り行われております。

  掲示板:厚木らしさの創造推進事業玉川地区協議会 より
 子安神社(こやすじんじゃ)は、主に安産・子育ての神が祀られている神社です。

 木花咲耶姫命=コノハナノサクヤビメ(ヒメ)は、日本神話に登場する女神。『古事記』では木花之佐久夜毘売、『日本書紀』では木花開耶姫と表記されています。ひ孫が神武天皇になるのでしょうか。

 神話では、地上に降った天孫・迩迩芸命は、桜の花のように美しい女性と出会う。山の神・大山津見神の娘、木花之佐久夜毘売です。一目惚れして迩迩芸命(ににぎのみこと)が結婚の許しを乞うと、大山津見神は喜び、もう1人の娘・石長比売(いわながひめ)まで添えて送ってきました。
 ところがこの石長比売は目を背けるほど醜い。天孫は妹の木花之佐久夜毘売とだけ結婚し、姉のほうは返してしまう。実は大山津見神が2人の娘を送ったのには理由がありました。石長比売には「天孫の命が石のように永遠であるように」と、木花之佐久夜毘売には「天孫が花のように美しく栄えるように」と願いを込めていたので、石を返し花を選んだため、こののち天孫たちは栄えるものの、命は人間と同じようにはかないものになってしまいました。神の子孫であるはずの天皇が人間と同じ寿命であることを説明するための神話です。
 結婚した木花之佐久夜毘売は一夜の契りで懐妊するが、瓊瓊杵命はこれを疑いました。媛は、疑いを晴らすため戸の無い産屋を建てて周りに火をかけると「腹の子が誠にあなたの子なら、この火の中からでも無事生まれてまいりましょう」といったのです。そして媛のいったとおり、無事に猛火の中から生まれてきたのが火照命(ほてちのみこと)(海幸彦)、火須勢理命(ほすせりのみこと)、火遠理命(ほおりのみこと)(山幸彦)の三皇子だったのです。
 火の中で無事出産したことから木花之佐久夜毘売が火をコントロールする神として富士山の神とされ、家庭円満、安産、子安、水徳の神としてのご利益へと結びつき、さらに、三皇子の誕生を祝って酒造りが行われたことで酒造の神ともされたのです。






    登っていくと、
    報徳二宮神社拝所
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