本龍寺(日蓮宗)
鎌倉市腰越二丁目  標高:6.3m
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 本龍寺は龍口寺輪番八ヵ寺のうち、もっとも早い時期に建てられたお寺です。1302年(乾元元年)日行によって開かれました。
 本龍寺(ほんりゅうじ)は、神奈川県鎌倉市にある日蓮宗の寺院。山号は龍口山。本尊は大曼荼羅。霊跡本山比企谷妙本寺の旧末寺(池上土富店法縁)。
 この寺は、日蓮聖人の直弟子である日朗聖人の弟子、朗門九鳳の一人、妙音坊日行聖人を開山とする。比企高家の屋敷跡に建てられたと伝えられ、境内には高家の墓が残る。
 龍口寺輪番八ヶ寺の一つ。慶長6年(1601年)に津村の国人で日蓮宗の信奉篤い島村采女により龍口寺が本格的な寺としての格式を整えられてから、江戸時代までは片瀬腰越八ヶ寺(通称片瀬八ヶ寺)が輪番で維持していた。本龍寺もそれまでは、「与蓮山」と号していたが、「龍口山」と改める。
 平成14年、立教開宗750・創建700年を期して、本堂建て替え並び寺域整備を行う。

(鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」より)
 開山(かいざん)は日行(にちぎょう)といわれ、1302年(乾元元年)に開かれたときは与蓮山(よれんざん)という山号でしたが龍口寺の輪番寺の一つになってから山号を龍口山と改めたといいます。日行は法源寺(ほうげんじ)も開いたといわれます。
 この寺は、輪番寺の中で日蓮宗(にちれんしゅう)の寺としては最も早く建てられたものです。山門を入った正面の本堂には、田辺ガ谷(たなべがやつ)の雨乞(あまご)いの日蓮上人像や大黒天、鬼子母神(きしぼじん)、
妙本寺(みょうほんじ)を開いたといわれる比企大学三郎能本(よしもと)だともいわれていますが、「文永二年」(1265年)まで生きていたことから考えると、能本の父である比企能員(よしかず)が殺され、一族が滅ぼされたときに生き延びることができたと思われ、能員にそれほビ縁の深い人ではなかったのではないかともいわれています。

(鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」より)
十羅刹女(じゅうらせつじょ)像などが、本尊の三宝本尊とともにまつられています。また、室町時代の作で、彩色も美しい日行上人像も安置されています。
 本堂右手には墓地があり、その右手奥の坂の中腹に、比企(ひき)大学三郎高家(たかいえ)の
墓があります。その墓には「文末二年」(1265年)に亡くなったと記されていますが、墓石は江戸時代に立てられたものです。
 寺の伝えでは、本龍寺の土地は比企高塚の屋敷跡だとされています。高塚については、










・大黒天は日本の大国主命と折衷する形で田の神とされ、富と福を担当する神様です。
・鬼子母神は安産・子育(こやす)の神さまとして広く信仰されています。
・十羅刹女はもとは人を喰らう悪鬼でしたが、仏教に深く帰依し、善神になったといわれています。
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