人体最大の器官は、体重の40%前後を占める筋肉!

 ウォーキングは大事なようです。でも「歩き方」はいろいろあるようですね。
 車が使えない坂道の多い町では、腰の筋肉を使い足を前に出している人が多いですね。
 また、膝のクッションを多く使う人、足の不備先をうまく使う人など、舗装されている道で生活しているか、未舗装の道を多く歩いているかで違うようです。
 昔の人は未舗装の峠路を歩き、また、歩く距離も30kmなど平気だったようです。
 鎌倉時代の「十六夜日記」では、京都から鎌倉まで、未舗装の峠路などを、お母さんが16日で歩いているのでしょうか!

尾道 魔除けの神猿さんが「山脇神社」

 祭神は大山津美之神(おおやまつみのかみ)山の神とも云う、神仏混淆の影響でむしろ山王大権現として親しまれています。また、かっては榎の大樹があり、榎神社とも称されました。
 祭日は、祭神が猿を神使いとするとこらから、旧暦四月の中の日であったのですが、戦後しばらくして、その日に近い五月半端の土曜日を当てるようになりました。現存する最古の記録は、棟札に見える「享保十三年」(1728年)の墨痕があります。
 興味深いのは、狛犬に変えて猿の石像、そして、拝殿の四隅(稚児棟)にも、それが見えます(現在は正面の二ヶ所)。最近、更に、備前焼の猿像の寄進が加わり、また、猿の絵馬がかかるようになり、まるで猿づくしの気配なのですが、先述の如く、この祭神が猿を従使とする特色を持ったことからきた庶民の機知の反映でもあるのでしょう。

寄席で笑いを堪能、キラーT細胞が増えていた!

 O157の対策研究が各国で行われた結果、数日で新しいウイルスを作ることができるようになったようです。
 ということは、病原菌を兵器として使う技術が出来上がったということですね。
 15世紀にヨーロッパがアメリカ大陸を征服したときもペスト菌が使われたようですが怖いですね。
 太平洋戦争の時、日本は細瑾をアメリカにばら撒こうとして「風船爆弾」が開発されましたが、途中で細菌ばらまきの禁止令が出、爆弾に変更されましたが、ウイルスのばらまきが起きてしまうと…………!

厚木 武田信玄に焼かれたことがある「妻田薬師院」

 睦合地区妻田の北端に、楠を交えた森があります。小字を白根(しらね)といい、ここに薬師堂が建てられています。この薬師堂は、遍照院東光寺の境内にあり、古くから目の病に効く薬師堂として、妻田地区など近郊の人たちの信仰を集め、今でも秋祭りを始め、年の暮れや正月には、大勢の参拝客でにぎわっています。この薬師堂がいつ頃建立されたのかはっきりしませんが、一説によると奈良時代ではないかと言われています。江戸時代に書かれた「妻田薬師縁起」によりますと、伝説と史実を織り交ぜる面白い話が数多く残っています。

事業は、才覚と商才さえあればうまくいく?

 「専門性」が重要視されています。しかし、今のアメリカを見ていると、専門性だけでは破滅する危険性もあるようです。
 才覚と商才だけに身をまかせてしまうと、人々とのつながりが薄くなり、社会性もなくなり、哀れな結果にたどりつく可能性が大きくなっていくようですね!

鎌倉 関東大震災の津波がここまで来た「延命寺」

 下馬一交差点の近くにある浄土宗寺院。山号は帰命山。
 もと安養院末。開山は専蓮社昌誉能公。寺史は不明。鎌倉幕府の第五代執権で名執権とうたわれた北条時頼の夫人により創建されたと伝えられている。北条時頼の夫人の念持仏と伝える身代地蔵(裸地蔵)が有名で、江戸へ出開帳したこともある。
 なお、赤穂浪士の岡島八十右衛門の三男が住持したと伝え、義士の画像もあったというが、いまはない。
[文献]『市史』社寺編

日本中で神さまが誕生する大祭の日!

 夏になると、神社のお祭りが多くなってきます。最近は温暖化のため、日程を変えるところも出ているようです。
 お祭りの場所は、できればクルマが通らないところがよいのですが、そうもいきませんね。
 しかし、商店街などでクルマが通らない道があると、お祭りが盛んですね。
 商店街と並行する道があり、普段から歩行者専用の時間帯があると、にぎやかな祭になりますね。
 ところで、昔の人に比べ現代人は体力が落ちています。今の体力に合わせていかないと、けが人など事故が起きやすいので、今の体力に合うように、祭りも変化していく必要があるのでしょうね!

尾道 生口島の耕三寺「未来心の丘」

 未来心(みらいしん)の丘。
  
 境内北方に位置する。瀬戸田の町と瀬戸内海を見渡せるイタリア産大理石を用いた環境芸術。彫刻家杭谷一東の作。
 制作にあたって、「金は出すが、口は出さない。」と言って制作を依頼したとか。イタリアで制作し、ここで組み立て、調整した。
 仏教護法の十二天よりテーマが設定されているようです。「十二天」とは、古代インドの聖典ヴェーダに登場していた神々が仏教に取り入れられ、十二天となりました。
 中国では唐代に成立し、日本には平安時代前期に持ち込まれたそうです。
 東西南北などの八方位に、天・地と、さらに昼・夜が加わって、十二天のかたちができあがりました。密教では曼荼羅(まんだら)に描かれ、主要な地位を占めています。

自然の循環を乱すことは人間の破滅につながる!

 縄文時代の人々の住んでいた地域はいろいろな説があります。
 最近、縄文時代は「日本の歴史」という視点ではなく、「人類の歴史」との視点で考えるべき、という意見もあります。
 温暖化が始まり災害が身近になると、人類の危機という視点で考えるようになりました。
 すると、縄文人の暮らし方に興味が湧いてきます。縄文人は自然に適応し、わずかなエネルギーで平和に暮らしていた、と思われています。
 しかし、地球史上最大の火山爆発や寒冷化・温暖化などによる自然災害があっても、適応してきました!

相模原西部 一遍が草庵を設けたのが始まり「無量光寺」

 1261年 23歳の一遍はこの地を訪れ、草庵を設けたのが始まり。その後上人は2度この地を訪れた。その高弟である他阿真教が1303年2月に遊行を終えて止住するために念仏道場を開いたのが起源であろう。1319年に真教が亡くなると、初期時衆教団の聖地となり、参詣者が引きも切らなかったことが他阿呑海の法語に遺っている。
 鎌倉幕府が滅亡したとき、鎌倉幕府からの帰依を受けた無量光寺は一時衰退した。
 戦国時代に無量光寺は歴代小田原北条氏の保護を受け、南関東を中心に勢力を誇った。しかし1590年に小田原北条氏が滅亡し、たび重なる火災のために、再び不振となった。

専門家が不足しているもの、「社会的能力」だと!

 人類の未来など、はるかに広い社会のことを思い考えてはじめて知性になる。
 「知性は必ずしも社会に貢献するものではない」と、原爆の開発に関係した人は言っています。
 スペシャリティー(専門性)は、一歩踏み留まって、破壊に貢献するかどうか考える必要があります。
 AIはどうなのでしょうか? 最近は戦争にも使われ出したいますね。
 産業革命、ダイナマイトの発明、原始爆弾、コロナウイルスなどと同じようにスペシャリスト達が開発したのでしょうが、人類の掃滅につながる要因にならないとよいのですが!

福山 鞆 朝鮮通信使の常宿でもあった「南禅坊」

 天正年間(1573~1591年)に創建したと伝えられる。
  元々、福禅寺下にあったが、江戸中期(正徳年間・1711~1715年頃)に現在地に移転する。 寺院調査の中で、「梵鐘一件記録」が発見され、鐘の供出を巡る経過を詳しく記した史料として貴重である。かって、その鐘があった鐘楼門(山門)は現存する。
 江戸時代を通して、朝鮮通信使の常宿でもあった。 朝鮮通信使とは、李氏朝鮮が1404年から日本に派遣した外交使節で、豊臣秀吉による朝鮮侵攻のあと途絶えていたが、1607年から再開された。
 江戸時代には、1811年まで12回、朝鮮通信使が日本を訪れている。その中心のメンバーは外交担当の役人や武官だが、さまざまな随行員も含めると、毎回なんと約400人もいた。
 朝鮮通信使は、対馬や壱岐から瀬戸内海を通って大坂・京に入り、名古屋を経由して東海道を行進して江戸に到達した。朝鮮通信使の一団は、日本ではめずらしい服装で朝鮮の音楽を奏でながらパレードした。当時の日本の庶民は、毎回わざわざ見物に集まり、江戸の町ではこの異国人の一団を描いた絵や書物が飛ぶように売れたといいいます。

腹式呼吸が自然にできると、精神的にも落ち着く!

 畳の上に座ることが少なくなってきました。畳の上に座ると、姿勢を気にするので健康に良いのでしょうか?
 畳に座る場合の正しい座り方は、背筋を伸ばした姿が綺麗ですね。
 体重をふくらはぎにかけてしまうとしびれてしまうので、両方の足の親指だけを重ね、くるぶしの横の部分にお尻をのせて座る座り方が正しいようですね!

鎌倉 季節の花木や野草が咲き乱れる「収玄寺」

 1271年 日蓮聖人の龍口法難の際、日蓮と共に殉死の覚悟を決した第二代執権義時の孫、江間光時の家臣の四条金吾の屋敷跡に金吾の滅後、捨身護法・法華色読の霊地として建立。

 創立当初は収玄庵と称したが大正末期の本堂改築を機に収玄寺と改称した。
 四条金吾は医術にも造詣が深く鎌倉、佐渡、身延にと終始日蓮聖人に給仕し法華信者の鑑として大聖人より厚い信頼を受けた。

夢は、ひとたび文字にして記されると!

 パソコンやスマホが普及し、手書きをする機会が少なくなりました。
 だからこそ、自分の夢などを手書きすると、何かしらその意味を深く感じるようです。
 本気で何かに取り組むときは、目標や期日などを手書きすると、より本気で取り組むようになるのでしょうね!

完全に“私心”を取りさることはむずかしい!

 釈迦は「知識にとらわれない」というようなことを言っているようです。「大乗仏教は釈迦の教えではない」と言われているようです。
 私心は、自分が採用した知識にとらわれ、それ以外の考え方を認めないことのようですが、やはり、社会的な正義といったものは、大事にしたいですね。
 異常な犯罪が増えていますから!

厚木 旧名妙見宮(天之御中主神)を祀った「鐘鋳神社」

 御祭神:日本根古皇続弥照命(やまとねこすめらつぎいやてるみこと)

 旧名:妙見宮(天之御中主神)。北斗七星を神格化して祀ったもの。

 風土記稿によれば1629年 村民難波富右衛門が本国下総(千葉県)の原社を勧請したという。また地名の中金井について「古は金鋳と書し、上中下に分け唱へしなり、此所は鋳工銅銕を鋳し地にて、今も地中より銕屑でると云」 としている。 鋳物師が活動してゐた記録があり、当社の「鐘鋳」の社名はこれに因んでいる。ご神体は銅製の男神立像。

 天之御中主神(あめのみなかぬし)は、『古事記』の一番最初のくだりに「天地(あめつち)初めて起こりし時、高天原(たかまのはら)に成りませる神の名は、天之御中主神」とあります。天と地の始まりのとき、天の高天原に神々が自然と現れて出てきたときの最初の神。天の中心という意味の名を持つ神様ということです。

尊い人を描くときは必ず光が描かれる!

 抽象画を見ることが増えています。
 なぜでしょうか?
 事実(現実)を見ていない人(見たくない人)が増えているのでしょうか?
 AIはそのような現実から生まれてきたのでしょうか?
 日本では「鳥獣戯画(12~13世紀)」のように、古くから書かれていました。
 平安末期から鎌倉時代初期ですので、世の中が荒れ、現実から逃避したくなる時代だったのでしょうね!

鎌倉 生き延びた比企高塚の屋敷跡に「本龍寺」

 本龍寺(ほんりゅうじ)は、神奈川県鎌倉市にある日蓮宗の寺院。山号は龍口山。本尊は大曼荼羅。霊跡本山比企谷妙本寺の旧末寺(池上土富店法縁)。
 この寺は、日蓮聖人の直弟子である日朗聖人の弟子、朗門九鳳の一人、妙音坊日行聖人を開山とする。比企高家の屋敷跡に建てられたと伝えられ、境内には高家の墓が残る。
 龍口寺輪番八ヶ寺の一つ。慶長6年(1601年)に津村の国人で日蓮宗の信奉篤い島村采女により龍口寺が本格的な寺としての格式を整えられてから、江戸時代までは片瀬腰越八ヶ寺(通称片瀬八ヶ寺)が輪番で維持していた。本龍寺もそれまでは、「与蓮山」と号していたが、「龍口山」と改める。
 平成14年、立教開宗750・創建700年を期して、本堂建て替え並び寺域整備を行う。

(鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」より)