自分の短所ばかりでなく長所を見つける!

 知識を覚える教育では、失敗したとき解決策を見つけることが難しいように思います。
 その対策として、NET検索で、解決策を見つけようと技術が発達したのでしょうか?
 また、それをもっと進化させるためにAIが発達しているのでしょうか?
 しかし、日本の歴史では、自然から学び、それを学びやすくするため伝説をつくり、石碑などを残し、自然と共にそれらから学んでいました。
 NET検索と、地域の歴史などから学ぶ違いは、今住んでいる地域との関連の濃さだと思います!

尾道 向島とを結ぶ航路「福本渡船」廃止になります!

 135年の歴史を持つ福本渡船は、2025年3月31日までの運行です。

 大林宣彦監督の映画「ふたり」「さびしんぼう」のロケ地となったり、PlayStation 4用ゲームソフト「龍が如く6 命の詩」にも尾道仁涯町の“仁涯渡船場”として描かれています。

福本渡船(0.25km 3分)
【概要】 尾道駅前広場の東端付近から少し東に行くと、向島の小歌島(おかじま)とを結ぶ航路があります。3つある航路の中で最も運賃が安い渡船でもあります。尾道側桟橋入口の赤く塗られたゲートが特徴です。

朝鮮半島は、西暦300年代に独立の国づくりが進んだ!

 朝鮮半島の歴史は、紀元前200年頃に中国の一派が移り住んだことから国づくりが始まったようです。
 日本の縄文時代や弥生時代の時期の国づくリは、どのような状態だったのでしょうか?
 日本の歴史では、西暦300年代(古墳時代)から600年代(飛鳥時代)にかけて、ヤマト政権(大和朝廷)による統一・建国がなされ、今に続く日本の基礎ができたとされています。
 遣隋使は西暦600年~618年の18年間に3回から5回派遣されています。目的は国づくりのためなのでしょうが、「国づくり」という意識はその前からあったのでしょうから、いつごろからなのでしょうね?

鎌倉 鎌倉では珍しい五重塔「龍口寺」

 龍口寺の五重の塔は明治四十三年(1910)竣工、棒造り銅板葺き、神奈川県で唯一の木造本式五重塔である。初層の上部には彫刻師、永田伊助の手になる日蓮大聖人御一代記が奉納されている。
 五重の塔は、この世と、また、私たち人間を形づくっている五つの要素である
「地」、「水」、「火」「風」、「空」の五大を意味する。
 また、五重塔がつぶれないのは、接着剤もクギも使っていないからだ。
 木を組み合わせて上に積み重ねているだけだから、揺れた時に隙間ができるのです。

「他人の痛みを思いやること」を教えるには!

 「自分で考える」ということが少なくなる時代になったのでしょうか?
 NETが普及し、簡単に必要な情報が手に入ります。すると、この入手した情報も元に自分の判断が決まります。おそらく、自分の経験より優先してしまっているようです。
 この状態にAIが加わると、もっと「自分で考える」ということが、少なくなってしまうのでしょうか?
 日本語は、ある意味で「いいかげん」です。同じ言葉でも多様な意味があります。また、地域や状況によっては、言葉の意味をそのまま解釈してはいけない場合もあります。
 そのような風土は大事にしたほうがよいのでしょうか? それとも、単純な言葉にしたほうがよいのでしょうか?

福山 共 元は沖見堂と称し鞆港に近い西町にあった「本願寺」

 福山藩では時宗の寺院は珍しく、江戸時代、福山領内の時宗寺院はいずれも鞆の浦にある原村の永海寺と、西町の本願寺の2寺だったそうです。永海寺はその後焼失して廃寺となってしまったので、現在は本願寺のみが孤塁を守っています。開基一遍上人の立像も安置されています。
 
 時宗寺院の多くは海港に分布しています。福山の鞆には興楽山陽場院本願寺、雲波羅山福寿院永海寺があったのですが、永海寺は1754年に焼失し今はありません。本願寺は古くは澳(沖)の御堂と言われた。隣の港町尾道には海徳寺、常称寺、海福寺、西郷寺、慈観寺等が存しています。尾道の時宗寺院で最も古いと言われる海徳寺も沖の道場と言われ、かつては尾道港の沖にあって常夜燈をつけて行き交う船の標となっていたのではと推察され、本願寺もかつては現在の場所ではなく海辺に寄った所にあり海徳寺と同じ役割を果たしていたのではないでしょうか。

“聴き上手”は、言葉を変えていえば〈思い遣り〉のこと!

 聞いたことは、8時間以内に半分以上わすれるとのこと、また、後で思い出す切っ掛けがなければ、95%は忘れてしまうようです。
 話す側も、その事実を認識した上で話をしないといけないですね。
 「この前、言っただろう」は、パワハラになりかねないですね。
 子供に対しても注意が必要ですね。「無言の行」=「これからはお母さんは一切の口出しや手を貸すことをしないから、自分でやってごらん」も必要なようですね!

日蓮の弟子日賢が1309年 に開いた「本成寺」

 門を入った正面に本堂があり、右側に墓地、左側に庫裏(くり)があります。日蓮(にちれん)の弟子日賢(にっけん)が1309年(延慶2年) に開いたと伝えられています。本尊は、三宝本尊(さんぽうほんぞん)(祖師(そし))という「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」のお題目が書かれた塔と釈迦如来(しゃかにょらい)、多宝如来(たほうにょらい)で、日蓮上人像とともにまつられています。また、岩の上のキッネにまたがった稲荷明神像(いなりみょうじんぞう)もありますが、これは「教(経)-稲荷」と呼ばれ、左手に宝珠(ほうじゅ)を持つ江戸時代のものです。

性格は、生まれつきものと環境の影響の組みあわせ!

 人間には個性がありますが、動物はどうなんでしょうか?
 人間の感覚では、動物は個性がないとされていますが、それぞれの動物の感覚では、個性を認識しているのでしょうか。
 子孫を残すとき、動物も相手を選んでいるのでは? と、気になります。
 「生き残り=子孫を残す」末永く残すすには、やはり相手選びは欠かせないのでしょうね!

尾道 隠された謎があるのか? 向島「岩屋山」

 岩屋巨石ははるか昔に人が造形したと考えられている岩です。
 それは人造の傷跡があることから推測され、岩屋巨石のその造形は古代太陽信仰に基づいた太陽の周期とリンクしたものになっており、古代人の歴の知識が込められていると考えられます。
 また、この岩屋山の山頂には尾道水道を見渡せる絶景のパノラマビューがあり、尾道三山の寺院(千光寺、西郷寺、浄土寺)と、この岩屋山との不思議な関係を眺望することができます。
 (「岩屋山ミステリーツアー」の案内板より)

古くなることを押し留めることはできないが!

 昔に比べるとずいぶ便利なりました。
 便利さを追求する人間の心理は、生き延びるために得たのでしょうか?
 便利さは、人間を楽にします。体の働き・頭の働きを楽にします。しかし、楽になると、それまでに造り上げてきた、からだの各部分にエネルギー供給する仕組みと相性が悪くなります。
 このエネルギー供給する仕組みの変更がうまくいかないと、太りすぎや認知能力の低下などが、異常になってしまうことはないのでしょうか?

厚木 神奈川景勝五十選、飯山の観音さん「長谷寺」

 「飯山の観音さん」「縁結びの観音さま」として知られる長谷寺(通称飯山観音)は厚木市街から約六キロ、丹沢から東へのびる尾根、白山の中腹に位置している。
 神奈川景勝五十選、花の名所百選にもなっており、参道、境内、桜の広場には約二千二百本もの桜の木があり、春にはお花見客でも賑わう。
 また、本堂裏側より登る白山森林公園ハイキングコース頂上展望台からは関東平野を一望でき、正面に横浜、左手に東京新宿を見ることができる。

 当山は神亀二年(725)奈良時代の高僧、行基により開かれ初めは飯山寺と呼ばれていた。
 その後、大同二年(807)弘法大師が真言密教の場としたと言われ、この地の領主飯山権太夫が深く信仰し伽藍を建立したと伝えられている。
 (「長谷寺案内」長谷寺発行より)

戦争責任をどう負うべきか!

 今のアメリカ大統領のドナルド・トランプ氏について、日本人は違和感を持っている人が多いと思われます。
 しかし、「無差別攻撃」や「原子爆弾」を落としたアメリカの過去を思うと、トランプ大統領に対して「そうかな」と、思うこともあります。
 ディズニーが「東京大空襲」のプロパガンダ映画を作成していた、との話もあります。
 アメリカ合衆国は、1775年から1783年のアメリカ独立戦争で独立した国です。
 今NHKで放送されている大河ドラマ「べらぼう」の時代、田沼意次や平賀源内の時代です。
 「歴史から学ぶ」には、歴史が短すぎるのでしょうか!

鎌倉 塩嘗(しおなめ)地蔵を収める「光触寺」

 光触寺の境内。木々に囲まれた境内に、ひっそりと本堂がたたずんでいる。その本堂の脇に小さな地蔵堂があり、塩嘗(しおなめ)地蔵が収められている。この塩嘗地蔵、なぜそう呼ばれるのか。
 ひとつは、六浦の塩売りが、初穂の祝いのために、「地蔵に備えた塩をなめたから」という説や、塩売りの供えた塩が「いつのまにかなくなっている」というので、そう名付けられたとも言われている。いずれにせよ、鎌倉には地蔵信仰が多く存在する。
 鎌倉時代は、地蔵信仰が開花したりしたいとも言われている。もともと奈良時代に中国から伝えられた自動信号だったが鎌倉にその信仰が触ると名高い人が競って優れた地蔵を製作するようになり庶民に浸透していったのだった。この地蔵信仰の特徴はそれぞれに専門化された性格が与えられていたことでもある。安産眼病長寿などなど、現実に即した願いを書く地蔵が受け持ち庶民の心を癒す役割を担いよの反対に一役買ったのだった。
(「鎌倉なるほど事典」 楠本勝治著 実業之日本社 より)

植物には毒草もたくさんあるが、毒も少量飲めば薬になる!

 「自然」というものには、やはり人類が生き残った原点があるのでしょうね。
 漢方薬もそうですが、一般の人達は自然の植物などから取り出したものを薬にしていました。
 科学薬品は20世紀前半に基礎ができたようです。
 薬だけでなく、自然の中にいると心が癒されると同時に、からだにも良いようです。
 都会暮らしについて、暮らしやすさや便利さだけでなく、何かしらの問題もあるようです!

尾道 五百羅漢の群像がある「天寧寺」

「五百羅漢の群像」 500体 + 28体

 羅漢は正式には阿羅漢(あらかん)といい、サンスクリット語のアルハンを音写した言葉です。元来インドでは尊敬に値する人という意味で、仏教では、悟りを開いた修行者という意味です。羅漢には釈迦の十大弟子や、釈迦からこの世にとどまり仏法を護るように命じられた十六羅漢、釈迦の入滅後に行われた第一回結集(けつじゅう)(経典の編集会議)で集まった五百羅漢などが含まれます。

枯れ枝や紙を燃やすと火の粉が驚くほど遠くまで飛んでいく!

 「雨乞い」は農作物の不作を逃れるため、あるいは、豊作を願って行われる行事なのですが、山火事のとき、火が消えるように祈って行うことはないのでしょうか?
 そういえば、枯れ草を燃やすとき、水を用意するだけでなく、スコップを用意していますか?
 水場が直ぐ横にあれば別ですが、近くにないことが多いです。そんなときに火が広まると、水はすぐ無くなり、水を汲みに行っている間に燃え広がったしまいます。
 せめてスコップがあれば、土をかけると火が消えることもあります。
 私の経験では、裏山の50m位横上で枯れ葉が燃え広かったとき、父から「スコップも持って行け」といわれ、実際に消すことに成功しました。
 山火事になる前でしたら、消化の効果があることもあります!

愛川 八菅の七社権現とも呼ばれた「八菅神社」

 八菅山の中腹にあり、別名八菅の七社権現とも呼ばれ、日本武尊、国常立尊、伊邪那岐命、金山毘古命、誉田別命、大己貴命、伊邪那美命の七神が祭神として祭られている。
 明治維新までは神仏混淆の信仰に支えられてきた聖地で、大山阿夫利神社、日向薬師とともに関東での山岳修験の道場であり、修験道三派のうち聖護院流である。
 かって山内には七社権現と別当・光勝寺の伽藍、それを維持する五十余の院・坊があって相模の国峰として盛えていた。
 八菅山縁起によると日本武尊が東征のおりにこの山を望み見て、山容が蛇の横わたるに似ているところから「蛇形山」と名付けたという。
 また、703年、修験道の開祖役の小角(えんのおずぬ)が入峰し修法を行ったとき、忽然として「池中に八本の菅が生えたことから八菅山の名が起こり、709年には僧行基が入山、ご神体及び本地仏を彫刻し伽藍を建立して勅願所としたという。
 しかし、明治の神仏分離令により光勝寺は廃され七社権現は八菅神社と改称、今日にいたっている。

人類の歴史は、ある面、空腹の歴史!

 人類は空腹だったことから、生き残りのため、体質も含めいろいろと工夫し生き延びてきた。
 日本も太平洋戦争後は、多くの人が空腹であったから、いろいろと工夫し高度成長をなしとげた。
 しかし、豊かになると工夫する力は弱くなるのでしょうか? 成長する力が弱くなってきているようです。
 アメリカも、移民の人達の工夫する力で成長してきたのでは? と思ってしまいます。
 アメリカが成功者中心の社会になると、成長力は鈍ってくるのでは、と思ってしまいます!

福山 古くからの航路、航海安全を祈願「阿武兎観音」

 1570~73年(元亀年間)に、毛利輝元によって再建された観音堂で、国の重要文化財に指定されています。急峻な岩肌に、青々と飛沫をぶつける瀬戸内の海。その荒々しい自然の中にあって、この異国情緒漂う朱塗りの観音堂が、妙に調和して見えるから不思議です。
 その美しさは古くから名高く、安藤広重の浮世絵や、志賀直哉の小説「暗夜行路」の中でも取り上げられているほど。一度は訪れてみたい名所です。