岩屋山は補陀山(ほださん)西提寺の寺領で、現在は尾道大橋としまなみ海道によって、寺と岩屋山と分断されたかたちに見えますが、岩屋山と一体となる寺でした。
山号の「補陀山」は、観音普薩の住む所を意味します。だから尾道三山の三古刹(浄土寺、西国寺、千光寺) がすべて観音信仰で、それぞれの観音普確が岩屋山を見つめるように設計されたと考えることも可能です。
また、西提寺も岩屋山を向けて造営されており、尾道に古くからあったとされる浄土寺、西國寺、千光寺、そしてこの向島・西提寺をふくめた四つの古い寺がこの岩屋山を向けて造営されています。
四方から特定の山に向けて仏教寺院が造られた例が他にあるのでしょうか。何かが隠されている自然信仰の景観上に企てた陰陽思想と仏教信仰な気配がします。
(「隠された神話」 稲田全示著より)
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座間 裏山から湧水 し、水量も豊富「心岩寺」
開山年代は寛正元(1460)年頃で、鎌倉建長寺第七十五世悦岩興惟禅師の法弟成英玉大和尚が開山し、この地の郷士白井織部是房が開基となって、白井氏の持仏堂を寺としたものと伝えている。
当山の記録によると、山号は初め久光山心願寺、後に座間山心巌寺、そして江戸時代になって座間山心岩寺と改められている。
開山以来五百数十年、法嗣二十二世この間法灯絶えることなく栄えている。
本尊は「积迦如来立像」(運慶作、長5寸5分:室町時代の作。座間市重要文化財)で、造像当時は金箔神であったが、永い年月に剥落して現在ではわずかに衣丈のひだに残っているだけである。台座は後に補ったもの、光背は欠失している。
温和な顔立の内に高雅な気品が溢れている。この釈迦如来は当山の本尊である。
江戸は運河だらけの水の都、主な輸送手段であった!
鎌倉 太田道灌の屋敷跡と伝える「英勝寺」
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尾道 明治の火災の時、三重塔が残った「向上寺」
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厚木 血から生まれた剣の神を祀る「春日神社」
コノシロを食べない村(南毛利地区)
温水(ぬるみず)の鎮守社は春日神社です。その鍵取りは、同村の旧家・奥田家が代々世襲しています。春日神社は藤原家の守護神です。源平の戦に敗れた平家の落ち武者がこの地に土着して、春日社を祀ったと伝えられていますが、その理由は分かりません。
温水村の枝郷の一つに浅間山(せんげんやま)がありますが、この部落の鎮守は浅間(せんげん)神社で、富士浅間神社の分社ですが、この部落では、コノシロという魚を食べることを禁じています。それは、昔この部落の先祖が戦に敗れ、守城を取られたことに由来しているようです。
戦後、疎開児童の家から謝礼にコノシロを送られたときも、その家では捨ててしまったそうです。
「漢字を10個のテスト、3つできた」なんて言うか?
鎌倉 瘡守稲荷と鬼子母神が祀られる「上行寺」
山門の裏側には左甚五郎(ひだりじんごろう)作と伝わる竜の彫り物があり、山門の正面に本堂があります。江戸時代後期の熊本の大名細川家(ほそかわけ)が造ったといわれる本堂の軒の表欄間(おもてらんま)や前の柱との梁(はり)などに、すばらしい竜の彫り物があります。
上行寺は、日範(にちはん)が1313年(正和2年)に創建したといわれる日蓮宗(にちれんしゅう)の寺で、山号は法久山(ほうきゅうざん)といいます。現在の本堂は1886年(明治19年)に、名越松葉ヶ谷(なごえまつばがやつ)の妙法寺(みょうほうじ)の法華堂(ほっけどう)を移築したものといわれています。本堂の中は公開されていませんが、その格天井(ごうてんじょう)には美しい花鳥の絵が、表の欄間には十二支の彫刻がほどこされています。
本尊は三宝本尊(さんぽうほんぞう)(祖師(そし))で、本堂内正面には日蓮上人像(にちれんしょうにんぞう)、左手に開山の日範上人像や鬼子母神像(きしぼじんぞう)、亀に乗った水天像などが安置されています。
鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」より



















