1282年創建。開山は一向俊聖上人。本尊:阿弥陀三尊(木造南北朝作)…… 南北朝時代の作。
一向俊聖上人は、時宗の開祖一遍上人同様、鎌倉時代、各地を遊行回国し、踊り念仏を広めた。しかし、一遍と違い一向の教えは踊り念仏を行うとはいえ、念仏そのものに特別な宗教的意義を見出す事は少なかったとされている。
一向俊聖上人の一向宗は、江戸時代に幕府により強制的に時宗に統合された。その後、一向宗の復活をはかったが実現されていない。 大正12年の関東大震災によって、文政年間に建てられた本堂と表門が倒潰してしまった。現在の本堂は昭和5年に再建されたもの。
敷地の広い住宅のようなお寺さんです。
向福寺は、『丹下左膳』の作者林不忘(長谷川海太郎)が新婚生活を送ったといわれる寺。
本尊は普段、本堂の扉の隙間から拝することができるようです。
境内:無料
この寺の開山は、一向俊聖(いっこうしゅんじょう)です。寺の縁起によれば、1282年(弘安5年)に創建されたということです。
一向は、時宗を開いた一遍(いっぺん)と同じように、鎌倉時代に諸国を遊行して、踊(おどり)り念仏(ねんぶつ)などで教えを広めた人です。西御門(にしみかど)の来迎寺(らいごうじ)を建てたのも一向だということで、一向が鎌倉に滞在していたことは明らかになっています。
本堂には、本尊である南北朝時代の阿弥陀三尊像(あみださんぞんぞう)や聖観音像(しょうかんのんぞう)がまつられています。
鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」より
閻魔王も三度目は許さず、仕方なくお地蔵様は二人を自分の袖に掴まらせれ冥土を脱出したのです。それ以来錫杖を持たない地蔵は袖引き地蔵と呼ばれるようになったそうです。
袖引地蔵様
向福寺境内には墓所があり、入り口にはお地蔵様がお二人おられます。そのうち左のお地蔵様が「袖引地蔵様」と呼ばれています。
この地蔵を夫婦で信仰していた地元の漁師が海で命を落としたが、地蔵様の力で生き返りました。続けて食あたりで落命したが再度生き返りました。
お地蔵さまはその代償に閻魔王に錫杖を取り上げられたのです。
しかしこの夫婦に再度災難、大津波で亡くなりました。