住吉神社
尾道市土堂二丁目  標高:2.5m
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 1740年、尾道の町奉行に着任し広島藩の平山角左衛門《名誉市民》は、翌年の1741年に住吉浜を築造し尾道発展の基礎を築いた。その際、浄土寺境内にあった住吉神社をこの住吉浜に移して港の守護神とした。

 毎年旧暦の6月28日前後(7月の終わり頃)の土曜日、平山奉行の功績を称えると同時に、商売の繁盛と海上交通の安全を願ってをおのみち住吉花火まつりが行われます。

 尾道住吉花火まつりは、正式名称を「住吉神社大祭礼」といい神事です。花火当日に「山型(やまがた)」「鳥居(とりい)」「御弊(ごへい)」の提灯船3隻に加え、「火船(ひぶね)」 「御座船(ござぶね」が渡御(とぎょう)…尾道水道を行ったり来たり…しております。


 小津安二郎監督の代表作「東京物語」のロケ地、港の守護神とされる神社。
[港の埋立]

 尾道や瀬戸田は、中世から瀬戸内海交易の中継地として発展し、江戸時代においても有数の港町でした。さらに1672年に河村瑞賢により西廻り航路が開発され、北前船が寄港するようになると、さらなる飛躍をとげています。そうなると、港湾設備の拡大が要求されるようになり、元禄年間から継続的に港の埋立が行われます。
 尾道では、1689年に薬師堂浜の西側を、1690年にさらに西の荒神堂浜を、1697年に土堂浜を埋め立てています。この埋立は商人たちの手によるもので、増大する船舶の出入りに応じる形となっていました。
 この後、さらなる港の活性化に伴い、船の繋留地と荷揚場が必要となり、住吉浜の築造が急務となりました。そこで、広島藩は、直接工事を計画し、1740年尾道町奉行に平山角左衛門が任命されます。平山角左衛門は、翌年工事に着手し、住吉浜を築造します。そして、完成した後には、商人たちの信仰厚い海上守護神であり、浄土寺境内にあった住吉神社をこの埋立地に安置しています。この住吉神社に奉納するお祭りとして、毎年「尾道みなと祭」が開催され、平山角左衛門の功績を称えています。

(「尾道の歴史と遺跡 -近世編-」より 2013年3月発行:尾道市教育委員会)
 海の神として古くから大いに信仰を集め、全国に2000社以上ある住吉神社の総本社は、大阪市住吉区にある【住吉大社】です。
祀られている「住吉大神」は一柱ではなく、住吉三神と息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)(神功皇后(じんくうこうごう))の四柱の総称です。
 大阪の住吉大社と、下関と博多の住吉神社が日本三大住吉とされています。
 住吉三神とは底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)で、伊邪那岐命が死の国から戻って日向(ひむか)の橘小門(小戸)で 




穢れを浄めるために禊(みそぎ)をしたが、水底で漱(すす)いだ時に底筒男命、中程で漱いだ時に中筒男命、水面で漱いだ時に表筒男命が生まれたのです。
 『古事記』では「三柱の神は、墨江の三前の大神なり」とありますが、墨江とは住吉のことで、代々この大神を祖神として祀って来たのは津守氏ですが、『日本書紀』によると、津守連は百済や高句麗、唐に派遣されるなど、「津(港)」を「守る」と言う名前の通り、航海や港湾を舞台に活躍した氏族です。
 




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