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住吉神社
尾道市土堂二丁目  標高:2.5m
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「住吉大神」を祀る住吉神社。

 住吉大社の伝承では、仲哀天皇が死んだ夜、神功皇后と住吉大神が[夫婦の秘め事]をし、さらには、その子が応神天皇だったという。ここにいう住吉大神とは武内宿禰(たけのうちのすくね)その人を指している疑いが強い。『古事記』では、武内宿禰を蘇我氏の祖と位置づけているが、『日本書紀』は無視している。
雁木(がんぎ)と住吉神社の大灯

(神社は昭和の初期までは、こちら側(海側)を向いていたようです。)

 名誉市民平山角左衛門が江戸後期に開いた住吉浜は、港町尾道の中心としてにぎわった。今もここから、島々へ物資を運ぶ渡海船が出ていく。
 住吉神社にある灯籠は、高さおよそ5mはあろう。浜問屋たちが奉納したもの。海側から見上げると、緑青の色鮮やかな屋根向こうのホテルとまるで背比べ。
    尾道市内最大級の常夜灯

 高さおよそ5mはあろう。浜問屋たちが奉納したもの。
 尾道の港が北前船の寄港地として繁栄した江戸時代、浜の仲仕連中がこれ等の石をもち上げて力くらべしたようです。
 見事もち上げた者の名前が刻んであります。
 港町尾道は東浜、西浜とわかれ沖仲仕達が力自慢を競っていた。住吉神社での「力くらべ興業」には各地の港から力自慢が訪れて賑わいを見せていたようです。見事にかついだ者はその石に名前が彫られていました。
 瀬戸内海中央部は、干満の差が3~4mもあり、積荷の上げ下ろしが大変だった。日本海側は干満の差が20cm前後のため、古代は日本海側の港がよく利用されたのでしょうか。




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