石井山 長勝寺(日蓮宗)
鎌倉市材木座2-12-17 標高 11.0m ~ 15.2m
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 安国論寺とならび、日蓮上人が松葉が谷に来て初めて草庵をむすんだ寺といわれる。

 石井長勝が日蓮に帰依し、1263年に本圀寺を創建したのが始まり。

 日蓮上人の四大法難のひとつである「松葉が谷焼打の法難」はこのあたりであったと伝えられる。その後廃寺となったのを日清が再興し、開基の石井長勝にちなんで長勝寺と名づけた。


 毎年二月十一日に、僧数十名が、冷水を浴びながら世界平和を祈願する、激しい水行が行われます。


 開: 9:00~16:00  休:無休  境内:無料。
 この地は、日蓮にかかわりのある本圀寺(ほんこくじ)の旧地といわれています。この地の領主石井長勝(ながかつ)が日蓮に帰依(きえ)し、日蓮が伊豆に流され、そこから許されて鎌倉に戻ったとき、自分の邸内に小庵(しょうあん)を建て日蓮に寄進したのが、本圀寺のはじまりといわれています。本圀寺が室町時代の初期に京都に移って、この地が廃寺(はいじ)になったのを日静(にっせい)が復興し、山号と寺号をもとの開基である石井長勝の名にちなんで、石井山(せきせいざん)長勝寺(ちょうしょうじ)と名付けられたと伝えています。

 鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」より
つけたらしく、火の手はたちまち燃え上がり、人々の叫び声が手にとるように聞えてきました。洞窟の前に立ってこのありさまを見ていた日蓮は、猿の手をとって洞窟の奥深く入りました。この事件は「松葉ヶ谷法難」といわれる焼き討ちですが、災難から日蓮を救った白い猿は、帝釈天の使いだといわれています。

 鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」より
 山門の柱の木鼻(きばな)には、象や唐獅子(からじし)の彫り物、山門の欄間(らんま)にはこれも唐獅子やキリンの浮き彫りがみられます。
【日蓮と白猿の話】

 1260年(文応元年) 8月のある日、日蓮は草庵に集った信者に法話を行いました。一同が帰った後、静かに読経をしていました。夜もふけたころ、机に寄りかかってとろとろ眠っていると、白い猿が3匹、
どこからともなく現われ、上人の衣にすがり、袖を引いて表の方へ引き出そうとします。上人は引かれるままに表へ出て歩き始めますと、大きな洞窟の前に出ました。そのとき、ふもとの庵の方で割れるような大声とともに、たい松の火が20や30くらいちらついて見えました。何事かと思う間もなく、草庵に火を










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