完全に“私心”を取りさることはむずかしい!

 釈迦は「知識にとらわれない」というようなことを言っているようです。「大乗仏教は釈迦の教えではない」と言われているようです。
 私心は、自分が採用した知識にとらわれ、それ以外の考え方を認めないことのようですが、やはり、社会的な正義といったものは、大事にしたいですね。
 異常な犯罪が増えていますから!

性格は、人生のいろいろな段階で変わっていく!

 意欲が無いといつの間にか悲観的になっていることが多いですね。
 希望を持つには、前向きに考えることが大事ですね。希望をあがあれば悲観的になることはありません。
 失敗しても前向きに考えていれば、新たな希望が見つかります。
 前向きに考えることに、ボランティアかと同派役に立つのでしょう!

些細なことに対しても、ふらつかない胆力!

 心の安定感はどのようにしたらいいのでしょうか?
 何かにこだわってしまうと、不安感が出やすいようです。
 すると、行動もできなくなってしまいます。
 具体的な行動に移れば、不安感などは湧いてきません。
 やはり、早く決め(これが大事)、早く行動出来れば、不安はなくなるのでしょうね。
 訓練しかないのでしょうね!

一人ひとりの価値観が多様化した!

 人間の感覚には、優先順位があります。
 感覚の優先順位は、触覚>聴覚>視覚>嗅覚>味覚のようです。
 昨今の情報社会では、視覚を使うことが多くなりました。画面に音をつけ加えるのは、視覚より聴覚が優先する為の野でしょうか?
 そう言えば、歯の治療で痛みをやわらげるため、左右の足先を組み合わせ、力を入れると痛みが和らぎます。これは「触覚(タッチ)」が優先順位が高いためなのでしょうか?

移りゆくことこそが永遠の真理!

ブッダの遺言
 私はたしかに、もうすぐ死ぬ。
 しかし君が悲しむことはない。嘆くこともない。
 私はこれまで何度も説いてきた。
 「どんな愛しい者からも、大好きな者からも、100%の確率で、生きているうち、もしくは死ぬときに、引き裂かれて別離し、すべては移ろいゆく」と。
 いったん生まれたもの。存在するもの。つくられたもの。それらはすべ て壊れゆく定めにあり、「壊れるな」という無理が通ることはありえない。
 この世に永遠のものなど何ひとつなく、私の命もまた永遠ならずして、もうすぐ私はそれをそっと手放す。
 それはごへごく自然なこと。
 すべてのものは一瞬一瞬、刻一刻と壊れて、少しずつ消滅してゆく。
 だから、君はほんの一瞬もムダにすることなく、ダラダラすることなく、精進するように。
 これがまもなく死にゆく私が、君に先生として残す、最期の遺言となるだろう。

自分の個人的な経験を重視すると!

 同じ分野の仕事が続いてしまうと、考え方も狭くなってしまいます。
 そのためか、昔は定期的な移動がありました。移動すると、別の種類の情報が入り、考え方・見方も変化する可能性が広がります。
 確かに、専門分野だけに従事し、歳をとってしまうと、考え方が狭くなっている人を見掛けます。
 現在は専門家指向のようです。起業にとっては効率的になるのでしょうが、歳ととってしまうと、人付き合いが大変にならないといいのですが!

最近は、「独り」になれない時代!

 最近「いじめ」が取り上げることが多くなりました。「いじめ」は人との関係で起こるものです。
 むかしの「いじめ」は殴る・蹴るといった直接的な暴力でしたが、現在は精神的なものが中心になっているようです。
 核家族で人との接触が少なくなってきたのですが、人との関係が重要だと、どこかで思っているのでしょうか?
 昔の大家族時代、近所の人達を含めて、大勢の人達と関係していたので、かえって「孤独」に強くなっていたのでしょうか、「いじめ」はそれほど問題になっていませんでした。
 村八分(むらはちぶ)は有りましたが!

順風満帆ばかり続くとはかぎりません!

 思ったような結果が出せないとき、その原因が「どうにもならない原因」と、「なんとかなる原因」があります。
 落ち込むのではなく、その原因を冷静に見分けることが重要なようです。
 原因がどうにもならないときは、あきらめることも重要です。そして、忘れ去ることも大事なのでしょう!

自分に正直になる、それが自分の足で立つということ!

 今の教育はわかりませんが、以前は記憶力中心でした。
 記憶力が良ければ、良い大学に入り、良い会社に就職し、早く出世するとされていました。
 でも、昔のテストでも100点満点の所、103点とか、105点をつける先生が1人いました。
 教科書に載っていないことも勉強することをなんとなく奨励していたのでしょうね!
 どこかのお寺の掲示板に、「無知とは知識のある者」といった掲示がありました。
 知識がありすぎると、自分の頭で考えなくなる、と言っているのでしょうか?
 確かに、融通の利かない人(頑固な人)は、年を取ると目立ちますね!

自分の考えているように相手は存在する?

 自分の周りの人は、いつのまにか「自分の思っているように相手はいる」と思ってしまいます。それが裏切られると、いらいらしてきます。
 冷静に相手を見ている人もいるのでしょうが、難しいと感じている人も多いのではないでしょうか?

なんでもOKと許容範囲も広い!

 本当に実力がある人は、関係する人には向き合わず、対象となっている「事柄」に向き合っていますね。
 実力があると見せたい人は、事柄より関係する人に向き合っています。
 自然に事柄に向き合える人は、どことなくやさしく、思い遣りがあるようです!

自然の秩序や社会と不調和を起こしている人!

 日本は、一神教の国(キリスト教やイスラム教}の社会と違って、「日本社会」というものが、社会の調和を保っているようです。
 しかし、日本の社会や風土が、社会の調和を保つ力が弱くなってきたようです。
 情報社会や外国語教育の普及で、いろいろな外国の社会に触れることが出来、むかしのような日本の社会規範が弱くなってきたようです。
 良い方向に進むのか、悪い方向に向かうのか、どちらなのでしょうか?

高齢者の三人に一人は、仕事でときめいているか?

 生涯現役になると、健康や体力維持に注意します。すると、頭の健康にもなります。結果的に、健康保険の節約になります。
 金銭は別にして、「人のためになる」ことにつながれば、本当の意味で生涯現役になるのでしょう。
 体力を必要とするボランティアは難しさもあるのでしょうが、精神的なボランティアは生涯現役はそれほど難しさはないのでしょう。
 昔のと年寄りは、そのような生涯現役をやっていたのでしょうね!

早起きでプラスの気を吸収!

 正月に「初日の出」を見に行くのは、「””朝日””の出会いの糧」を期待して生まれた言葉なのでしょうか?
 日本語は面白いですね、思ってもいないところで言葉がつながってきます。それが、発想を豊かにするのでしょう。
 ところで、昔から、季節のポイントの日に日の出や日の入りの位置に合わせ、岩のすき間や鳥居、山門などの位置を決めたものが多くあります。
 なにかしらのエネルギーを期待したのでしょうね!

何を望んでいるかをしっかり見つめ直して!

 情報化社会になり、自分ではそれほど深く考えないで、ネットで関連情報を検索したり、AIで回答を求めたり、便利になりました。
 が、回答が洗練されてしまい、自分らしさが失われていきます。
 「自分らしさ」が失われた社会、これをとするか、???やっかいですね。
 社会が安定した状況になれば良いのですが。戦争がなくなったり、原爆が禁止になったり、どうなるのでしょうか!

仲良くしてもらうためには!

 ネットやAIが一般的になってきた現在、「人づきあい」は少なくなっていくのでしょうね。
 既に都市化で人づきあいが少なくなっており、それが更に進むのでしょうね。
 しかし、ホモサピエンスの歴史は、人づきあいで進化してきており、それが衰えていくとどのようになるのでしょうか?
 日本人は歴史を大事にする民族です。それも衰えていくのでしょうか?

わずかな時間でも、ひとりになる時間が必要!

 一人時間を得るため、結婚や子どもを作らない家庭が増えてきているのでしょうか?
 一人時間は、NETで得る情報がどんどん増えてきているため、自分時間がそれに取られてしまいます。
 むかしは、人からの情報が主体だったので、人と人のつながりが必要でした。そういえば、お寺なども情報提供の場だったのでしょう。
 今はNETからの情報が主体で、本から得る情報も少なくなり、閉店する本屋も増えていますね!

不安に対し、迎合・攻撃・ひきこもりの三つの反応をする!

 情報過多の時代になり、いろいろな情報に対し対応できず「不安」が増しているのでしょうか?
 不安は、迎合、攻撃、ひきこもりが起きるという、確かにNETでは、攻撃する人が増えましたね。これも不安解消のためなのでしょうか?
 また「攻撃する」に至らない人は、迎合するか、ひきこもりすることになってしまうのでしょうか?
 情報過多の時代、その時代についていくだけの態勢が、まだ我々には充分備わっていないようですね!

自己の成長を毎日楽しみに生きていく!

 誰でも、自分をよく見せたいと思うのは当たり前ですが、むかしは「自慢話」をすることで、なんとか自分の存在を、自分で、あるいは他人が認めることが出来ました。
 しかし、今の若者の自殺を見ると、自慢話でなんとか自殺から切り抜ける方法を持っていないようです。もちろん自殺から気に抜ける方法は、そればかりではありません。
 ネットなどの情報社会になり、自慢話も否定されることが多くなったのでしょう。それが原因で、自分の自慢話では、切り抜けられなくなったのでしょうね。
 情報が飛び交う社会では、コンプレックスを和らげる方法は難なのでしょうか? AIが切り抜けることに貢献してくれると良いのですが!

自惚れ屋と恩知らずは、かならず落ちていく!

 自分を高めたいという思い、そして、自分に自信がついてきたと思い始めると、自尊心が強いと自惚れてしまうことがあります。
 それを抑えるため「謙虚」という言葉が生まれたのでしょうか?
 社会の中でうまく暮らして行くには、いくら自分に自信があっても、「謙虚」で生きていかなければ、自惚れ屋として見られてしまいます。
 なかには、自信がないのに自惚れ屋でいる人もいますが!