自分の人生は幸せなものだった?

 子供の成長には、「期待」が大きく影響するという。ただし、過剰な期待は厳禁。
 状況を、ありのまま、正確に把握し、その状況に応じた期待をすることが大事ですね。
 入試が終わった今、改めて、冷静に考えてみましょう。
 大人になっても、「ちょうど良い期待」がどんなものか、冷静に考えなくてはならないですね!

社会に出ると完全な縦社会!

 社会に出ると、学生時代の横社会から、縦社会に変わります。しかし、この縦社会は、昔の縦社会とは違っています。
 現在の縦社会は、下の者が、上のご機嫌を伺う、というスタイルです。しかし、昔の縦社会は、リーダーが、下の者の能力や性格を考え、その人が一番能力を発揮しやすい環境に、置くことを考えていました。
 ソ連の捕虜になった、第二次世界大戦の日本兵捕虜の班長ですら、班員の性格や能力を見極め、配置していました。
 これは、子供時代に、ガキ大将を中心に、年齢が10歳以上離れた子供達が、一緒に遊んでいので、ガキ大将は、下の子供達の能力を考えながら、安全を確保しながら、みんなでいかに楽しむかを、考えながら遊んでいました。
 例えば、ソフトボールで遊ぶとき、中学生がピッチャーで、小学3年生がバッターの時、力一杯投げますが? 手加減して投げることを学んでいました。
 しかし、そのような体験がある世代は、昭和15年(1940年)生まれ位まででしょうか!

子ども時代にタテ社会の中で生きる体験!

 「ガキ大将」というものが、過去のものになってしまいました。子供時代、年齢の違う子供達が、それぞれの年齢と能力を考えながら、教え・学ぶ体験を失ってしまったようです。
 自然の中で、年上の子は、下の子の能力を考え、年下の子は年上の子に学び、安全で、楽しく遊ぶ経験は、大人になっても大切なものです。
 特に組織の中では、周りの人たちの能力や性格を見極め、それぞれの人に応じた対応が必要です。それが、組織全体の能力につながっていきます。
 「ガキ大将」が復活するとよいのですが!

子どもが一番したいことは「ダメ」と言われたこと!

 子育てでは「個性を大事に」と言われます。
 「子育てしているあなたの個性はどうですか」と問われると、ちょっと直ぐには返事が出来ないですね。
 個性など気にしないで、好きなことを自由にやっていると(人に対し危険なことは注意が必要ですが)子供は育っていくものでしょう。
 ただ、何でも出来るようにすることは、個性は育たないようですね!

子どもに親の望む「あるべき姿」を求めると!

 子供の虐待の報道が増えています。親が子育てのやり方を学んでいないようです。これは、核家族の影響があるのでしょうか。
 祖父母や近所の人達が、子育てに多く係わることが少なくなってしまいました。そのため、子育ての歴史的な方法の引き継ぎが出来なくなってしまいました。
 むかしは、子供はもっと自由に遊んでいました。相手の顔(特に目)を傷つけるような遊びはきつく禁じていましたが、それ以外は比較的自由でした。
 子育てにも、人類の歴史的な英知があるのですから、その英知を引き継いで行きたいものです!(学校教育で、特定の方向に誘導する国もあるようですが。)

叱った後は、叱り終わった合図を!

 「叱る」とき、「叱り終わり」を考えてから叱っていますか?
 叱る目的は、叱る相手に何かしらの改善を要求し、そして、結果を出してほしいから叱っています。
 叱った結果は、どの程度改善が実現していますか?
 よく見かけるのは、叱る側のストレス解消のため叱っている、と感じてしまうことがあります。これでは、叱られた側もストレスが残り、双方とも何のメリットも生まれてきません。
 何かしらの改善が生まれる叱り方を、充分考えてから、叱りたいですね!

子供の時からいろんな人との接触が必要!

 今は、子どもに声をかけにくい社会になっています。その結果、子供達は人を見抜く力がついていません。また、「このようなことをやると、他人(社会)からどのように見られるか」ということを、考えなくなってしまったようです。
 自分が置かれている状況の、「気配」とか「殺気」も感じることが出来にくくなっているようです。
 「人が絶滅しない社会」を考えたとき、どのようにすれば、どのような社会であったら、良いのでしょうか?

女性はオーラでコミュニケーションする能力がある!

 「チャットGPT」が注目されています。文章作成の代行をするようです。これがどんどん進化したとき、人間の脳は、進化するのでしょうか? それとも、退化するのでしょうか?
 人間、楽をするとボケが始まります。その程度なら良いのですが、帰巣本能がある「鳥」程度の生物に変わっていくのでしょうか?
 しかし、人間には(特に女性には)オーラでコミュニケーションすることが出来ます。まだ、オーラは数値化できていません。これならコンピューターに乗っ取られることはないのでしょうね。しかし、未来はわかりませんね!

夢がいいのは実現を先送りできること!

 「夢を保つことはいいこと」なのですが、年齢に応じた夢の持ち方もあるようです。
 また、地位・財力・名誉だけの夢は、周囲に大きな危険も起こしてしまうこともあります(ロシアのプーチンさんがその典型なのでしょうね)。
 小さな夢を積み重ねている内に、いつのまにか大きな結果を残すこともあるのでしょう。その本人は、大きな夢を実現したとは思ってないかも知れないですね!

バブルの頃「一卵性母娘」という現象が!

 「親が子離れが出来ない」これも核家族の影響なのでしょうか?
 子どもは、接する大人の数が少ないため、親を頼るようになり、親も気を使う人達が少ないため、子共中心になるのでしょうか?
 やはり人づきあいが面倒なのでしょうが、親も子も多くの人達とそれなりの接触をし、社会というものの中での暮らし方を、身につけなくてはいけないのでしょう。
 もう一度、人類の生き残り作戦として、社会というもののなかで、どのように暮らし方を身につけるか、考えて行かなければならないのでしょうね。SDGsは温暖化対策だけではないのでしょうから!

「もっと、もっと」と!

 なぜ、自分より下の人や子供に、「もっとガンバレ」と言ってしまうのでしょうか?
 取り組み方を、具体的に「こう考えれば……」と方向を示す言葉が必要なのでしょうね。
 知識教育が進んだ結果、自分でいろいろな情報を五感で収集し、それをもとに対応策を考える人が少なくなってしまいました。むかしのように「やって見せて、見て盗め」が成立しにくくなっています。
 知識は、基本的には過去のもの、そして、何かしらの資料、あるいは測定が出来るもので成り立っています。
 最近、研究者の方のラジオ番組を文字化しました。それと、その研究者の方の本を読んでみると、ラジオの方が参考になりました。
 本は、既に確定したものを修飾した表現になっています。しかし、ラジオでは「……かもしれないですね」という情報も含まれています。多少曖昧でも、それで良いのでは、と思います!

8歳~9歳の時代、「徒党を組み出し」ます!

 子供のとき、自然の中で遊んでいると、{なぜ?」「なぜ?」だらけです。そして小学校に上がると、学ぶことで「そうなのか」とわかってきます。
 「感覚からの情報が先」、「知識からの情報は後」、これが普通になってくると、1つの考え方にとらわれなくなり、曖昧さの中で暮らすことが普通になります。
 この曖昧さの受け入れは、多様な人を受け入れることにつながり、いじめもなくなっていくのでしょうね!

本当の自分の気持ちを見極めること!

 幼い時は、できるだけ自然環境の中で生活することが良いのでしょう。自然環境が、生物としての基本的な生きる機能を、身につけることができるのでしょう。
 多くの生物は幼い時に、その生物としての生き方を学んでいます。人間も同じなのでしょう。
 しかし、先進国の人々は、過ごしやすい環境で、言葉を基本とした教育を受けています。動物としての学びが少なくなっています。
 子供達が育っていく場面も、言葉による情報がほとんどの部分を占めており、なかなか自然から学ぶ環境がありません。
 いろいろな精神的な障害も、背景にはこのような問題があるのかも知れません。
 危険察知の能力が身についていないこと、これが一番心配ですね!

DVの加害者には社会に認められている人が多い!

 子どもを虐待する親のタイプの中には、きっちりしたタイプの親もいます。自分に厳しく、そして、自分を制御しているためか、自分の子どもにも、厳しく接してしまうようです。
 このようなタイプの人が、国家のリーダーになると、やはりプーチンさんをイメージしてしまい心配ですね。
 やはり、多様性を受け入れることが必要なのでしょう。
 別の言葉で言うと、「曖昧」、「いい加減」が大事なのでしょう。正解は一つという、100点主義は、社会に不幸をもたらす面もありますね!

無意識に子供にしがみついている場合がある!

 子どもに対する家庭内暴力のニュースが頻繁に放送されるようになりました。親の子育ての歴史はそれほど長くないのかも知れません。
 というのは、核家族で生活する人が多くなったのは比較的最近のことです。また、地域の繋がりがあまり見られなくなったのも、それほど昔ではありません。
 むかしは、祖母祖父や地域が子育てに多く関わっていました。両親だけで子育てをする場面は、それほどありませんでした。
 子どもにとっては、出来るだけ多くの大人達と関わりながら、大きくなっていく経験が、大きな財産になり、自分の子育ても、条件さえ整えば、同じような環境で子育てをするようになるのでしょう!

子育ての目的は自分1人で生きていけるように!

 ロシアのウクライナ侵攻で、やはり日本人の「平和ボケ」を実感せずにはいられません。ニュースなど見ていると、日本にも経済的な被害があるとのこと。これは戦争があればやむを得ないこと。日本の海外依存が増えてしまった現在、日本も我慢するべきことはでてきます。
 せめて子育てについては、平和ボケは避けたいものですが難しいのでしょう。でも、子育ての基本は、どんな社会情勢になっても「一人で生きていける」が基本なので、ウクライナの状況を見ながら、改めて考えなければならないのですが、どうしても平和ぼけの思考で考えてしまいますね!

お小遣いがたった1000円なんて!

 子供の小遣いを幾らにするか、やっかいな問題です。置かれている状況によりそれぞれなのでしょうが、具体的に決めるのは難しいですね。子供が我慢できる程度、ということなのでしょうが。
 家庭菜園があり、トマトやキュウリ、それに果物などがあると、それらがおやつ代わりになり、小遣い(お金)にあまりこだわらない状況ができます。
 それに家庭菜園で獲れたものは、多少見てくれが悪くても、「もったいない」という気持ちが湧き、食べてしまいます。これも地球環境を保つには良いこと、子供に環境保護を引き継ぐことが出来ますね!

苦手な相手とうまくやる方法!

 苦手な相手は、やはりいるものです。このような人にうまく対応するには、子供のときから慣れておく必要があります。というより、子供のときに、出来るだけ多くの大人と接する経験が大事です。小学生くらいの子供時代は、自分の思っているとおりに大人を動かすことは難しいことです。そうすると、自分が工夫して、その大人とうまく付き合うしかないのです。その経験が大事です。
 違った視点で捉えると「いいかげん」に付き合うことです。出来ればそれを「良いかげん」に切り変えられれば最高です。この能力を身につけるには、子供時代からの長い経験が必要です。
 人類始まって以来の「核家族化」、子供時代に多彩な大人達と接する機会が少なくなっている今、なかなか難しい問題ですね!

テンパってしまって、いじめてしまう!

 親から受ける暴力が問題になっています。親の子供についての「思い込み」が問題のようです。また、現在は核家族が多く、親を指導する人は役所頼みになっているようです。
 子供が、自由気ままに遊べる環境はほとんど無くなってしまいました。子供の事故によるケガや死亡は少なくなっているのですが、子供の自由もまた少なくなってしまいました。
 そして、答えが一つしかない100点主義の教育で育った親は、子供への対処方法も一つしかないという思い込みで、子供に対応しているようです!

「群れ遊ぶ」自由な場も大切なことです!

 もうしばらく、いろいろな年齢層の子供達が、一緒に遊ぶ姿を見たことがありません。
 このように年齢の異なる子供達が群で遊ぶ中で、いろいろな違いに気がつき、その違いの要素を考え合わせた遊びを工夫し、一緒に遊ぶことを経験します。
 この経験で、それぞれの人の違いを当然のこととし、対応ができるようになるのでしょう。
 違いを当然のこととして受入ると、生きていくことが楽になることにつながるのでしょう!