鎌倉 昔、ここに律宗の多宝寺があった「妙傳寺」

 道路拡張によって東京都文京区白山にあったお寺を1974年2月に移転
 紀州徳川頼房の祈願所として創建、戦災によって本尊、寺宝、寺史などを消失している。
 ここにはかって室町時代まで、律宗の多宝寺があった。裏山には石の造形物があるが、道が整備されていないようです。
 旧本尊は妙見北辰菩薩、現在は日蓮坐像。妙見北辰菩薩は 1945年(昭和20年)の戦災で焼失してしまったとのことです。妙見北辰菩薩は、源頼朝や日蓮が崇拝し、日蓮宗の寺院によくみられます。

現在の情況をありのまま見ること!

 「事実をありのままに見る」、先入観を持って見ていませんか?
 最近は、いろいろな情報の入手が、簡単に行えるようになっています。しかも、情報を検索している人の傾向にそった情報が提供されるようになってきました。
 すると、自分の思考がどんどん狭くなってしまいます。そうなると、事実をありのままではなく、狭くなった自分の思考から見てしまいます。
 自分が重苦しい思考状態になってしまうと、その思考をどんどん強めて行ってしまいます。
 自分の思考から事実を見るのではなく。事実は事実として、洩れなくつかみたいものです。そして、その後に考えるようにしたいものです。まず、事実を把握すること!

福山 万葉集にも歌われた「昔の鞆の港」

 鞆の浦は、『万葉集』の大友旅人(おおとものたびと)の歌にも詠まれた、全国でも最古の長い歴史を持つ港町で、鎌倉・室町にも江戸時代にも大いに栄えた大都市でした。
 靹の浦の「鞆」とは、弓を引ぐときに手首に巻いた丸い革製の防具のことで、半円形に巻き込んだ海岸の地形が、鞆に似ていることから名づけられたといわれまます。良い港の条件は、水深がある程度大きく、荒天時の波風を避けられる湾や島陰などがあること、そして川がないことで、川が海に流れ込むと、その土砂が堆積して港が埋まってしまうので、川がない方がよいのです。山が迫る海辺が好適地となります。鞆の浦はそうした良港の条件をすべて備えているのです。

ボケないための趣味と行動!

 子供のうちから、いろいろなことを、頭を使って、終わるまで、しっかりとやる習慣をつけたいものです。
 そして、大人になってからは、心を通して長くつながれる人と、出会いたいものです。
 そのよう経験の積み重ねが、「頭」や「からだ」を使って、習慣的に脳を使うことができ、年齢を重ねても、元気で暮らすことができるのではないでしょうか。
 簡単にnetや生成AIに頼ってしまうと、あたまをあまり使わなくなってしまいます。それらを使うのは、失敗した反省や、どうにもならなくなったときに絞って使いたいものです!

厚木 幽静な寺院としての景観を伝える「龍鳳寺」

 祥雲山龍鳳寺は曹洞宗江戸(東京都)駒込の吉祥寺の末寺です。
 大州安充禅師(本寺二世)により享禄三年(1530)開創じされました。開基となったのは地頭庄(荘)左近太夫で、境内に墓があります。

 庄左近太夫は命により、何人といえども境内や山林に入り竹木伐採などをなす者は、軽重にかかわらず罪科に処すべきとの誓令を発し、境内山林の風致を維持し、今日まで幽静な寺院としての景観を伝えています。

赤ワインの飲酒量とその効果!

 お酒を飲むのなら赤ワインが良いと言われています。赤ワインを1日3~4杯飲むことがアルツハイマー病の防止に最も効果的だとか。
 また、柿はアルコールを分解する物質が豊富なようです。
 高年齢化の時代、からだと頭の健康は維持したいものです。
 ところで、生成AIは頭にどのような影響を与えるのでしょうか? 今ですらnet検索では、AIが使われているのか情報が絞り込まれています。
 日本語は、同じ単語がいろいろな場面で使われ、意味も少し違う場合もあるのですが、NET検索では、同じ意味のものが絞られてきます。
 そのような環境が促進され、高度になって行くと、人の頭の働きはどのようになるのでしょうか?
 それが認知症につながることはないのでしょうか?

鎌倉 平政子(北条政子)の墓がある「寿福寺」

 1200年 源頼朝夫人政子が、明庵栄西禅師(緑茶を伝えた人物—茶そのものは奈良時代に伝わっていた。)を開山として建てたもので、鎌倉五山の第三位の寺。
 源実朝、北条政子の墓と伝わる五輪塔があります。
 臨済宗建長寺派に属し、正式には亀谷山寿福金剛禅寺と称するこの寺院が建つ扇(おうぎ)ガ谷(やつ)ー带は、源頼朝の父である源義朝の屋敷跡だと伝えられており、はじめて鎌倉入りした頼朝が幕府の中心を置こうとしたのも、この地であった。
 しかし、この場所が屋敷を建てる用地としては狭すぎることや、すでに亡き父の御堂があったことなどから、頼朝はそのことを断念したと伝えられています。

なぜか「公務員の不祥事」処分が大甘!

 公務員の不祥事の中に、政治家の不祥事もあります。政治家の不祥事は、歴史も長く、いろいろな国で発生しているようです。この不祥事を利用し、民主主義で政権を手に入れようとするのは、基本中の基本なのでしょうね。
 ところで、自由民主党の政治資金パーティーが、裏金として問題になっていますが、なぜ株主が手に入れられる情報と同じレベルの情報を、有権者が手に入れることができないのでしょうか? むかしは紙での報告でしたから経費が相当かかりましたが、現在はネットで有権者に公開することは、それほど経費はかかりません。
 批判している野党員はどの程度公開しているのでしょうか? 野党議員全員が早く公開してしまえば、与党議員も公開せざるをえません。公認会計士の費用はかかりますが!

尾道 艮神社から天寧寺塔「猫の細道」

 尾道には「猫の細道」と名づけられた小道があります。
 生きている猫の他に、猫を書いた石が所々にあります。作家の園山春二先生によって生み出されものです。
 福石猫の作り方は、日本海の荒波に長い年月もまれ、丸くなった石を拾ってきて、約半年間塩抜きをし、その後、特殊な絵の具で三度塗り重ね、作り上げていくそうで、福石猫が完成されるまでには、約1年もかるそうです。
  ひとつひとつ丹念に作られていき、最後に艮神社でお祓いをうけ、晴れて福石猫となって、尾道に住んでいるのです。
 縁起物の中の横綱といえば、それは招き猫。招き猫の置きものは江戸時代、江戸で誕生したようですが、どのようにして生まれたのかははっきりしていません。
 天明年間(1781~89年)、江戸両国の二つの妓楼(ぎろう)(本所回向院(ほんじょえこういん)前、一つ目弁天前)で、大きな招き猫を店頭に飾りました。それが評判になり、妓楼は大いに繁盛したといいます。一説に、これが招き猫の起こりとされているのです。

「非日常」というもの!

 非日常的な行事は、気分転換になります。「まつり」もそうですが、「豆まき」など決まった日に行う行事もあります。また、結婚式のような行事もあります。
 人間が気分転換を求めたのは何故でしょうか?
 おそらく、人間が地上を歩くようになってからは、木の上になる果物を手に入れることが困難になり、その果物を手に入れたとき、気分が高揚し、あるいは、気分転換になったのでしょう。そのようなことが切っ掛けで、いろいろな行事が生まれた可能性も、少しはあるのでしょうね!

鎌倉 円覚寺の塔頭の中でも最も古い「白雲庵」

 正和年間(1312~16)に退居寮として開創。
 禅師は曹洞宗を修めた中国元の高僧で、1309年、時の執権北条貞時の招きで来日し、1310年円覚寺第10世となり、暦応3年当寺にて遷化するまで、建長寺(18世)、寿福寺などの住職を務めた。
 江戸時代前期には40の塔頭があった。 現在は18寺の塔頭があり、そのうち住職のおられるところは13寺。 白雲庵はその中で最も古い塔頭である。

人の言うことは「聞く」ではなく、「聴く」!

 人とのつながりは「聴く」ことで始まります。「聴」という字は、熱心にきく・聞きとどける・耳をすまして聞く、という意味に加え、聞き入れる・ゆるす、といった意味もあります。
 目でしっかりと相手を見、自分の意見はともかく、まず相手の話を聴く、相手の話が終わってから、場合によっては、後日自分の考えを言うくらいのつもりでいたほうが良いのでしょうね。なかなか出来ないですけどね!

福山 戦国時代、安国寺恵瓊が再興した「安国寺」

 この安国寺の歴史が再発見されたのは1949(昭和24)年。解体修理が行われた安国寺の阿弥陀三尊像の中から古文書が見つかった時である。
 安国寺は本来、金宝寺。室町時代に寺社名、歴史が書き換えられたと分かった。
 阿弥陀三尊像、法燈国師坐像やこれらを収める釈迦堂など、安国寺は国、県指定文化財を蔵するが、すべて金宝寺時代のものだと判明した。
(「知っとく? ふくやま」 監修 松本卓臣/平井隆夫より)

 安国寺の住持を務めていた安国寺 恵瓊(あんこくじ えけい)という人物。

 恵瓊は戦国時代から安土桃山時代にかけての人物で、京都の東福寺と更には安芸と鞆の両安国寺の住持を兼務する臨済宗の僧でありながら、毛利氏三代(毛利元就・隆元・輝元)に仕えた武将としても名を馳せました。

 更には豊臣秀吉にも重用され大変な実力者となりましたが、関ヶ原の戦い(1600年)で西軍の拡大に暗躍(ひそかに策動)したが敗北。後に捕まり死罪となってしまいました。

 それにより安国寺は衰退。東福寺の力が薄れた安国寺が江戸初期に京都妙心寺の末寺となったことから、安国寺と関わりが深かった当寺もそれと同じ道をたどり、東福寺派から妙心寺派へと改まったものと考えられます。

絶えず意識が相手と戦っている人!

 人と接するとき、どのような態度や状態で相手と対応するかで、相手はこちらを判断します。
 「群(む)れない・媚(こ)びない・靡(なび)かない」(広島県人の気質という人がいます)が出来れば、自分というものを保つことが出来るのですが、これが出来ないと、自分というものがなくなってしまいます。
 自分を失ってしまうと、まわりに左右され、その上、自分を否定的に考えてしまうこともあります。
 地域の風土にも依りますが、「自分」というものを、気楽に、大切にしてほしいものです!

鎌倉 七堂伽藍の大寺だった「海蔵寺」

 海蔵寺は臨済宗建長寺派の寺です。この寺は、1253年に鎌倉幕府六代将軍宗尊親王の命によって、藤原仲能(道知禅師)が願主となって、七堂伽藍の大寺を建立したが1333年5月、鎌倉滅亡の際の兵火によって全焼してしまった。
 本堂は龍護殿(りゅうごでん)とも呼ばれ、関東大震災で倒壊した後、1925年(大正14年)に再建されました。
 本堂には、中央に開山である心昭空外坐像その前にタイから伝わったといわれる銅造釈迦如来(しゃかにょらい)像、右の方に厨子(ずし)に入った十一面観音菩薩(かんのんぼさつ)立像(りゅうぞう)などがまつられ、堂内の襖(ふすま)には竜や牡丹(ぼたん)とか唐獅子(からじし)などが描かれています。

タマネギの健康作用!

 料理を「薬」という視点から見ることも必要ですね。健康に注意している人は、この薬という視点からも見ているようです。
 むかし、給食の時間に黒板にチョークの色を変えながら、給食の内容を、野菜は緑色、肉や魚は赤、黄色は……(忘れました)などで書いていました。
 やはり、味だけでなく、成分に意識を向けなければいけませんね。
 また、同じ食べ物でも、農薬使用の有無でも、からだに影響しているようですね!

尾道 古寺巡りコース「持光寺 → 光明寺へ」

 「古寺巡礼コース」になっています。少し遠回りになりますが、も少し上を回って行くこともできます。
 尾道の山裾巡りは、坂や石段が多いのですが、景色の変化と住まいの変化(生活感)が感じられ、楽しむことが出来ます。
 また、石垣が多いので、どんな石積をしているのか、注意してみることもできます(そんな人はあまりいないですけど)。

コーヒーの木の原産地はエチオピア!

 アラブの人達がコーヒー普及の源だったとか。イスラム教徒はアルコールが飲めないため、似たような効果がコーヒーにあることで広まったとか。
 確かに、コーヒーはアルコールと同じように、飲み過ぎると体を壊します。
 しかし、分かっていても多くの人達は飲み続けてしまいます。ストレス緩和効果の方が、その人達にはメリットがあるのでしょうね!

厚木 古くは「赤城明神社」といいった「依知神社」

 上依知の相模川にかかる昭和橋のたもとにある依知神社の境内に、県の名木100選に選ばれている大きな2本のイチョウがあります。
 樹齢ほぼ500年という古木にもかかわらず、樹勢が盛んで、太い方は目通り3m、細い方が1.8m、高さ25.1mほどもあり、木の幹には乳状下垂が見られます。
 神社の由緒によると、鎌倉幕府の2代征夷大将軍に任ぜられた源頼家が、神社の建物を再建し、その記念として境内に植えたものであると伝えられています。
 現在は、国道129号線によって社殿とイチョウが左右に分断されていますが、元は一体の神社の境内にありました。

海水が蒸発して陸地の雨になる!

 温暖化で、今までの感覚では、過ごせなくなってきたようです。これに災害がプラスされると、今までの災害対策では、乗り切れないと考えないといけないのでしょうね。
 雨の降り方も変化しているので、洪水対策だけでなく、断水対策も日常的に考えていなくてはいけないのでしょうね。
 高層住宅など、停電が重なってしまうと、水を運ばなくてはなりません。
 また、現在でも水道が数十キロ先、あるいは100km以上離れたところから来ている地域もあり、その水源が涸れた場合、もっと遠くから、クルマで運ぶことになりますが、可能なのでしょうか?
 シンガポールのように、海水の飲料水化を準備しなくてはいけない時期に、来ているのでしょうか?