祭神:赤城大明神(あかぎだいみょうじん)
縄文弥生の往古より遠い祖先は、盤筒男命を祭神に依知神社を創建し、郷土の開発に尽力して来た。平将門が関東平定のおり、当社に参詣し相模川氾濫の苦難を眼前にし、赤城山神馬献進の託宣を給いたちまち堅牢なる護岸の完成が実現したとのこと。
このことに感謝感激した 氏子は、将門公の御霊を相殿にして937年社殿を再建し、赤城明神社と称した。
源頼朝が鎌倉幕府を創設のとき、10万余坪に及ぶ 社領を寄進したという。その境内は、祭り競馬をした所を馬場、大鳥居のあった所を鳥井という地名にするほどの広大なる土地であった。
1591年、徳川家康は、当社の由緒経緯と氏子の誠意に深く感動し、御朱印壱石を下賜された。以来依知郷の郷社として祭礼も盛大に行なわれ、金田村までも神輿が渡御したと伝承されている。
1871年広大な社領も明治維新の大改革により上知となり、ついで社地の払い下げを得て1894年、依知神社と社号を改名し現代に至っている。
1982年、依知神社社殿改築造営の竣工をした。
上依知の相模川にかかる昭和橋のたもとにある依知神社の境内に、県の名木100選に選ばれている大きな2本のイチョウがあります。
依知神社は、古くは「赤城明神社」といい、依知郷全体を守る総鎮守社と伝え、イチョウも御神木として地元の人々に大切に守られてきました。この2本のイチョウは、樹齢ほぼ500年という古木にもかかわらず、樹勢が盛んで、太い方は目通り3m、細い方が1.8m、高さ25.1mほどもあり、木の幹には乳状下垂が見られます。
神社の由緒によると、鎌倉幕府の2代征夷大将軍に任ぜられた源頼家が、神社の建物を再建し、その記念として境内に植えたものであると伝えられています。
現在は、国道129号線によって社殿とイチョウが左右に分断されていますが、元は一体の神社の境内にありました。イチョウのほかにもタブ・エノキ・ケヤキ・トネリコ・シロダモなどの大きな木がおい茂っていたそうです。
残念ながら平成10年、台風による強風のため幹、枝とも大きく損傷したため、広範囲にわたり伐採され、旧観は止めていません。
「文化財散策ガイドあつぎ」(厚木市教育委員会発行)より