「二十三夜塔」
二十三夜の月の出には阿弥陀三尊が現れ、これを拝する者には極楽浄土への道が開ける、という信仰から講中が集まり、終夜に及び飲食などの月待行事を行った。
今生も後生も安楽な生活ができるようにと、講中の願いをこめて建立されたのがこの塔である。
(案内板より)
秋葉神社といえば火伏の神として全国に約四百社ある。
秋葉三尺坊大権現が火伏の神として全国的になるのは徳川綱吉の頃からで、秋葉山三尺坊が火伏に霊験あらたかとして宣伝されてからである。秋葉講が組織され、とくに火事の多い江戸では多くの秋葉講が結成され、町の各所に秋葉山常夜燈が設置され、家々の軒下には秋葉大権現のお札が張られるようになり、大勢の参詣者が秋葉大権現を目指すようになって全国各地に広がった。
(「謎だらけ日本の神さま仏さま」 山下昌也著より)
秋葉大権現
二十三夜塔
祭神は水の神罔象女神(みつはのめのかみ)である。
寛文7年(1864)水天宮として幹線水路一の関の所に地区農民より祀られた。
その後元治元年(1864)依知神社境内に安置され、相模川の水害を防除し、依知地区水田の灌漑用水を守り耕作農民の生活安全と豊作を守護している。
明治末期入之藪水利組合が設立されると共に、狹水神社と改命し、秋の祭日には農民の代表が参列して祭事を行っている。(石碑より)
境内の中にある狹水神社
『日本書紀』では罔象女神(みつはのめのかみ)、『古事記』では弥都波能売神(みづはのめのかみ)と記されている。神社の祭神としては水波能売命などとも表記される。淤加美神とともに、日本における代表的な水の神(水神)です。
狹水神社 本殿