尾道 江戸時代、伝書鳩と米相場 「浄土寺」

少なくとも江戸時代からいるハトたち。

 江戸時代、幕府が禁止していた伝書鳩を使い、大阪の米相場の情報を入手していました。このお寺の言い伝えに「平家は伝書鳩を使うことが出来なかったが、源氏は伝書鳩を使うことができた」と伝えられています。そのためか源氏はピンポイントで平家の大将を攻撃できたのでしょうか?

また、こんな話もあります。【伝説 ハトの道案内】
 南北朝のむかし、京での戦に敗れた足利尊氏が、兵力を立て直すために九州へ下る準備を進めていたときのことです。どこからともなくまっ白いハトが飛んできて、尊氏の御座船の上を何度もゆっくりと旋回し、帆柱に止まりました。
 「おお、あれを見よ。源氏の流れをくむわれらの船出を白バトが祝ってくれてお…………白バトの水先案内で尊氏の大船団は、途中敵もなく瀬戸内海を西へ西へと進みました。数日の後、島に囲まれた景色の美しい港に船が着きました。
 「これはまたにぎやかな町じゃが、どういうところじや」
「はい、尾道というところです」「はい、十一面観世音菩薩を御本尊にいだく浄土寺と申す寺でございます」…………石段を上っていくと大勢の僧侶たちが尊氏一行を「美しいところじやのう。今宵はここに船を泊めることにいたそう」………

鎌倉幕府の成立年を1185年と唱える歴史研究者が登場!

 歴史は時代により、その解釈で変化する物です。その理由の多くは、書籍や文章により歴史学者は考えるようです。
 しかし、多くの文章は、新しい政権により廃棄されるか、書き換えられます。
 また、庶民など文字を知らない人達の歴史は残りません。
 その一例ですが私の故郷(尾道)で、ご主人が朝早くから漁に行って捕ってきた魚を、午後に妻が木製の乳母車のようなもので、商店街に行き、魚を売っていました。
 保健所から「これは法律で禁止されています」と注意されたところ、そのお母さんは「これは豊臣秀吉から、許可をもらっています」と答えたそうです。
 秀吉の歴史では、武家の歴史はあっても、庶民に歴史はほとんど出てきませんね!

相模原 相模川支流んから本流へ 「三段の滝」

 昭和8年(1933)に造られた鳩川分水路(現、鳩川隧道分水路)は段丘上からの放流の勢いを緩衝するための段差が三段あることから「三段の滝」と呼ばれ、その後、昭和63年(1988)には、その上流に「新三段の滝」が完成しました。この付近は「相模川散策路」の一部として整備され、展望台から見る相模川を望む眺めは風光明媚なスポットとなっています。
 また、この新三段の滝辺りから相模川散策路を歩いてみますと、西側に相模川、その奥に大山、丹沢連峰の雄大な絶景が目に入ります。四季を通じて、季節の様々な移り変わりの表情を見せてくれる、とても良いところです。

低酸素の状態にあるとき、がん細胞は活性化する!

 ガン細胞は、もともとは自分の細胞。なぜ自分を殺してしまうのでしょうか? ガン細胞も死んでしまうのに。
 ガン細胞は生き残るため、体内の中のしくみをうまく利用しているようです。悪い菌を殺すしくみから逃れるため、「わたし(ガン細胞)は悪いものではない」というしくみを利用し、増産を繰り返しているようです。
 脳で悪いことを考え出すように、ガン細胞も工夫しているのですね!

鎌倉 この谷戸あたりが腰越の中心部だった「東漸寺」

 鎌倉にある日蓮宗の寺院。旧本山は大本山法華経寺。小西法縁。龍口寺輪番八ヶ寺の一つ。
 1325年(正中2年)、後に龍口寺となる地の護持のため法華経寺から派遣された日東を開山に建立された。その後44世住職日英が、本堂、庫裡を再建復興し、現在の伽藍が整備された。
 山門をくぐると正面に本堂があります。この寺は、龍口寺を守るために千葉県中山の法華経寺(ほっけきょうじ)から差し向けられたといわれる日東(にっとう)が1352年(正平7年)に開いたと伝えられます。本堂には、日蓮上人(にちれんしょうにん)像と釈迦如来(しゃかにょらい)像がまつられています。「腰越駅」近くの諏訪神社は、もとはこの寺の境内にあったそうです。寺の裏山には、エフェドリンという咳止めの薬を作り、日本薬学の基礎を築いた長井長義(ながいながよし)博士夫妻の墓がありましたが、現在は墓は移され、墓地に記念碑が立っています。この寺の近くには妙典寺(みょうてんじ)、勧行寺(かんぎょうじ)、本成寺(ほんじょうじ)、本龍寺(ほんりゅうじ)があり、輪番八ヵ寺のうち五寺が集まっています。昔は、この谷戸あたりが腰越の中心部だったそうです。

 (鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土

七福神のなかで唯一の女性、弁天(弁財天、弁才天)!

 ヒチ副神の中で唯一の女性の神様「弁財天」。そういえば、縄文時代は女性がボス的な存在だったという話もあります。
 一神教では男性が神様のようです。
 日本では、戦国時代の前までは、かなり女性が強かったようです。
 子孫を残すため重要な立場であった女性。重要視されるのは平和の時代では当たり前なのですが、日本だけなのでしょうか?

尾道 寄進された五百羅漢像「天寧寺」

 羅漢は正式には阿羅漢(あらかん)といい、サンスクリット語のアルハンを音写した言葉です。元来インドでは尊敬に値する人という意味で、仏教では、悟りを開いた修行者という意味です。羅漢には釈迦の十大弟子や、釈迦からこの世にとどまり仏法を護るように命じられた十六羅漢、釈迦の入滅後に行われた第一回結集(けつじゅう)(経典の編集会議)で集まった五百羅漢などが含まれます。

「潮汐現象は」、月の引力によって起きている!

 むかしは、太陽を信仰する文化と、月を信仰する文化があったそうです。
 伊勢神宮は、その位置から太陽を信仰をする文化なのでしょう。
 でも、日本には月を信仰する文化もありました。日本で一番古いとされる民話「竹取物語」は津区ですね。
 瀬戸内海の潮流は、月の影響が潮の流れや水位に影響しています。月の位置を観測する文化が定着していたのでしょう。
 神社も、山側にある神社や海の近くにある神社がありますね!

厚木 美女神の木花咲耶姫命を祀る「子安神社」

  子安神社(こやすじんじゃ)は、主に安産・子育ての神が祀られている神社です。

 木花咲耶姫命=コノハナノサクヤビメ(ヒメ)は、日本神話に登場する女神。『古事記』では木花之佐久夜毘売、『日本書紀』では木花開耶姫と表記されています。ひ孫が神武天皇になるのでしょうか。

 神話では、地上に降った天孫・迩迩芸命は、桜の花のように美しい女性と出会う。山の神・大山津見神の娘、木花之佐久夜毘売です。一目惚れして迩迩芸命(ににぎのみこと)が結婚の許しを乞うと、大山津見神は喜び、もう1人の娘・石長比売(いわながひめ)まで添えて送ってきました。
 ところがこの石長比売は目を背けるほど醜い。天孫は妹の木花之佐久夜毘売とだけ結婚し、姉のほうは返してしまう。実は大山津見神が2人の娘を送ったのには理由がありました。石長比売には「天孫の命が石のように永遠であるように」と、木花之佐久夜毘売には「天孫が花のように美しく栄えるように」と願いを込めていたので、石を返し花を選んだため、こののち天孫たちは栄えるものの、命は人間と同じようにはかないものになってしまいました。神の子孫であるはずの天皇が人間と同じ寿命であることを説明するための神話です。

人間の人間としての自覚が足りないと!

 専門分野だけに興味を持ち続けていると、どうしても興味を持つ視野が狭くなります。
 趣味などで、視野を広げるように注意したいですね。
 アメリカの大統領(トランプ)のように、金儲けだけしか興味が持てないと、国を滅ぼしかねないですね。
 もっと生物としての純粋さが残っていた「縄文時代」の文化を調べると、何か見つかるのでしょうか?

鎌倉 目の神様として親しまれている「御霊神社」

 もとは関東平氏五家の始祖、鎌倉氏・梶原氏・村岡氏・長尾氏・大庭氏の5氏の霊を祀った神社であったとされています。その後、五霊から転じて御霊神社と通称されるようになりました。
 後に、鎌倉権五郎景政の一柱のみに祭神は集約され、祭神の名から権五郎神社と呼ばれました。

 景政の武勇伝から「目の神様」として親しまれている。例大祭には県の無形文化財に指定される「面掛行列」が行われます。

神社にお参りするときの参拝の作法!

 日本の神社は自然に関わるところが多いですね。
 自然信仰は、人間信仰を基礎とするヨーロッパ民族に較べ、地球の温暖化に不安を強く感じるようですね。
 パリなど温暖化で多くの人が亡くなっていることの不安感より、日本の気象の変化に、日本人は強く不安感を感じているのではないでしょうか。 
 「神頼み」は、この気候変動で強くなっていくのでしょうか?

尾道「完璧は災いの元」と石工の祈り「御袖天満宮」

菅原道真公着衣の袖をご神体とする神社で、大林宣彦監督の映画「転校生」で主人公が石段を転げ落ちるシーンのロケ地としても有名。またテレビアニメ「かみちゅ!」で境内モデルとなった神社。

 雷が鳴ったとき、「くわばら、くわばら」と唱えませんか?

 死後に雷神となった菅原道真は、復習のために各地に雷を落としたという伝説があります。

 5mもの1本石が54段(ただし、現在は一番上の段が割れてしまいました。)、それに、二本継ぎが1段(上から二段目)。

 大林宣彦監督の映画「転校生」の撮影場所(男の子と女の子が入れ替わる場面)

ほとんどの薬は、交感神経を興奮させてしまう!

 以前は、脳がからだを支配していると思っていましたが、最近は、腸もからだを支配していると考えられているようです。
 反射神経での動きは、脳は意識していないですね。腸以外にも体の働きは、いろいろな場所が関わっているようですね。
 人間が作っている製品も、多くは全ての部品が何らかの役目をしています。人間も同じなのでしょうね。
 ロボットのセンサーも、必要な機能だけに狭く考えて造ると、汎用性が狭くなり、変化について行けないのでしょうね!

厚木 弘法大師の伝説、荻野川「秋葉神社」

 荻野川の“源氏河原”と呼ばれるあたりは、不思議なことに毎年夏になると、川の水が枯れちょうどサト芋の収穫時期なのにその芋さえ、洗うことができなくなるのだと言います。それには、こんな言い伝えが今でも残されています。
 今から約1200年前(8百年代)、全国を行脚していた弘法大師は、ある夏の日、この荻野にさしかかりました。すると、一人の農婦が、源氏河原で取りたてのサト芋をざるで洗っていました。土手の上から、それを見た大師は、イモを洗う農婦の見事さに見とれてしまい、いつの間にか、その農婦の後ろまで近寄っていました。そして、丁寧に頭を下げた大師は、その農婦に「私は旅をしている者です。この辺りは山が多く、宿屋もありません。すまないが、そのサト芋を恵んではくれませんか」と話し掛けました。ところが、その農婦は「このサト芋は石のように硬いので食ぺられません。水も少ないので……」と、大師(頼みを何となく断わりました。しかし、…………

太陽神の不在は、世界に災いを引き起こす!

 古代エジプトでは、太陽神を崇拝していました。それは、また「太陽が昇る」ことから、再生を願う文化か生まれたのでしょうか。
 それが中国に見られる「不老不死」の文化につながったのでしょうか?
 中国の唐の時代には、水銀が不老不死の薬として利用されていたようです。
 一方、月を崇拝する文化もありました。シルクローでは昼間歩くとかなり暑いようです。そのため、月が見える時間に歩いていたのでしょうか?
 また、海洋民族も月を崇拝していたのでしょうか? 海の潮の満ち引きは、月の動きによって決まります。瀬戸内海の中央部では、満潮と干潮の嵯峨3m以上あり、潮の流れも違ってきます。
 そういえば、日本で一番古い物語として「竹取物語」がありますが、かぐや姫が月に帰るとき、不老不死の薬を帝に渡したところ、帝はその薬を富士山に捨てたとか!

鎌倉 開基の北条時宗の廟所「円覚寺仏日庵開基廟」

 開基廟は佛日庵御霊屋とも呼ばれ、円覚寺大檀那である北条時宗公・貞時公・高時公を祀っています。 時宗公が亡くなられた後に建立されたようです。
 山号・仏光国師が開堂供養の説法を行っていると一群の白鹿が人びとにまじって聴聞したところからえらばれたと伝え、鹿の出現した洞穴-白鹿洞が仏日庵前に残る。
 現在の開基廟は、江戸時代1811年に改築されたものとされている。 その折、鎌倉仏師の三橋家によって三体の尊像が修理されています。

その時代その時代に解決すべき課題は違う!

 教育という物は、視野を狭くする。手先などを複雑にう機会が少ないんので、脳の機能を使う範囲が狭くなる。
 ゲームは、ある一定のパターンだけしか使わないため、農を使う範囲がよりせままくなる。
 ネットで情報を手に入れるだけでは、やはり脳を使う範囲が狭い。
 できるだけ脳を広範囲に使う方法は、なかなかないようです。
 できれば、脳が広範囲な情報を手に入れ、今の時代に合った思考ができればよいのですが!

尾道 2020年3月に閉館された「文学記念室」

 2020年3月 閉館されてしまいました。

 庭付きの木造平屋建、桟瓦葺で数寄屋造りの建物で、東棟・西棟・茶室からなり、いくつかの部屋では当初から茶会ができるように設計されていました。
 1912年~1928年かけて増改築されこの写真のの形となりました。
 福井家の希望により、1998年に市が建物並びに庭園を整備し、文学記念室として公開。 2004年9月10日、旧福井家住宅(尾道市文学記念室)主屋・茶室・土蔵として、国の登録有形文化財に登録されました。

これからは、手に職を持っている人!

 AIやロボットが進化している。この進化で食を奪われる人も、これから増えてくる。
 失われていく仕事の多くは、産業革命で増えた仕事のようです。
 産業革命以前からある仕事、いわゆる「職人の仕事」は、残っていくようです。
 これからは手に職を付ける職人仕事を目指した方が良いようです。でも、汎用品はロボットが作ってしまうのでしょうね。個性が大事ですね。
 大学を維持していくのは大変になっていくのでしょうね!