鎌倉 源頼朝の娘、大姫、哀しい話が「岩舟地蔵」

 源頼朝の娘、大姫(大姫とは長女の意味、本当の名前はよく分からない。)を供養する地蔵堂。2001年11月に再建された。大姫は頼朝と北条政子とのあいだにできた最初の子。二十歳くらいで(1197年)なくなったようです。
 ちょっと前まで木造の荒れ果てた建物でしたが、現在は海蔵寺が再建しました。
 木曽義仲は頼朝の求めに応じて嫡子義高を人質として鎌倉へ送り、頼朝と和睦した。その時の条件として、表向きは、義高は頼朝の長女大姫(当時5、6歳)の婿として迎えられた。幼いながらも政略で夫婦とされた義高と大姫は仲睦まじいものでした。
 翌年の正月、木曽義仲が源義経・範頼率いる関東勢に破れ近江国粟津で敗死すると、頼朝は悩んだ挙げ句、義高の復讐を恐れ、義高を殺すことを計画したが、4月、頼朝の計画を知った大姫は、義高を女装させ鎌倉から秘かに逃がしたが、すぐに発覚、義高は武蔵国入間河原で、頼朝の命令によって後を追った堀親家の郎党藤内光澄に討たれました。
 最愛の義高を失った大姫の嘆きは深く、政子の強硬な主張でで堀親家の郎党藤内光澄は処刑されました。しかし、大姫の嘆きは深く、こののち義高を偲びしばしば病床につくことが多く、二十歳ほどで亡くなりました。

朝の食事、体内の生命活動の素!

 朝、仕事や通学でいそがしいと簡単な朝食になりがち。
 しかし、朝食は生命活動の素です。なんとか手抜きをしないようにしたいですね。
 健康年齢にどのように関係しているのかわかりませんが、何かしらの関係は有野でしょうね。
 朝食の準備は簡単ではありません。しかし、冷凍食品と電子レンジが普及し、むかしより便利になりましたね!

尾道 中世時宗寺院の遺構が残る「常称寺」

 1340年に足利尊氏が七堂伽藍を建立するも、本堂だけを残して焼失、その後再建と焼亡を重ね現在に至る。
 正応年中(1288~)時宗二代目遊行他阿真教上人が常称寺創建にさいし、その参道、今の山門周辺に布施屋を設けた。今でいえば簡易宿舎兼診療所的なもので、もともと時宗は民衆のなかに融けこみ布敵した関係で同した医師を常駐させた。その南側に今でも地名が残る石屋町が形成され、常称寺の創建より約十年さかのぼり重文の浄土寺納経塔が完成され、この時代を中心に寺社の建立が活発化したあたり注目される。