長慶山 正覺院 大巧寺(日蓮宗)
鎌倉市小町一丁目  標高:7.8m
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 「おんめさま」(おうめさま)の名で親しまれている安産祈願の寺。

 創建は1320年と伝えられています。

 本尊は安産の神様とされる産女霊神(うぶすめれいじん)。550年前の室町時代、難産のために死んで霊となり人々を苦しめていた女の霊を、当時の住職であった日棟上人が鎮め、安産の神として祀ったことから、安産の神として「おんめ様」の通称で親しまれるようになりました。

 境内にて 季節ごとに多くの種類の花々がさきます。
 この寺は、はじめ大行寺(だいぎょうじ)といって十二所しありました。頼朝がある戦いのとき、この寺で練った作戦によって大勝したため、大巧寺と名を改めるよう命令したそうです。


 鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」より
 鎌倉駅の東口から若宮大路を横断すると入り口があります。
 「おんめさま」と呼ばれるようになったのには、次のような話が伝えられています。
 1536年(天文5年)、この寺の日棟がある日、比企ヶ谷(ひきがやつ)の妙本寺(みょうほんじ)の祖師堂(そしどう)にお参りするため、朝暗いうちに滑川を渡っていました。すると、一人の女が川原で泣き苦しんでいました。見ると、髪はふりみだれ、着物は血だらけでした。しかも、やせ細った赤ん坊を抱いているのです。
「あなたは、どうしてこんな所で苦しんでいるのですか。」
そしてお経を唱えました。すると、いつの間には女の人は消えてしまいました。
 それから数日後、日棟の前に美しい女の人が現れてこう言いました。
 「お上人様のおっしゃったようにお経を唱えましたところ、苦しみがなくなりました。お礼に私が生きていたときにためたお金を持ってきましたので、これで塔を建て、お産で苦しむ人を救ってください。」
 「塔を建て、あなたを、お産を守る産女霊神(うぶめれいじん)としておまつりしましょう。」
と約束しました。
と日棟がたずねると、その女の人が
「私は、大倉に住む秋山勘解由(あきやまかげゆ)の妻ですが、先日難産のため死んでしまいました。毎日ここを渡ろうと思うのですが、水が汚い血になって深さがわかりません。
そのうえ子どもが乳房にすいついて泣くので、苦しくてたまりません。どうか、お助けください。」と頼むのでした。
 そこで日棟は、仏の教えと、それを信じてお経を唱えれば、必ず苦しみはなくなることを話して聞かせました。










 そこで日棟は、大倉の秋山勘解由という人に会い、このことを話しました。、お金の包みを見せたところ確かに亡くなった妻のものであるというのでした。
 さっそく日棟は、宝塔を建て、産女霊神をまつりました。
 産女霊神が「おんめさま」
と呼ばれるようになり、今でも安産を願う人達から信仰されています。

 鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」より


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