辻薬師堂
鎌倉市大町2丁目 標高 7.5m
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 ここには医王山(いおうざん)という山号の長善寺(ちょうぜんじ)があり、寺の伝えでは、奈良時代の神亀(じんき)年間(724~729)、鎌倉にいた豪族で「由比の長者」といわれた染屋太郎時忠(そめやたろうときさだ)が建てたといわれますが、確かなことはわかりません。もとはJR横須賀線の名越のトンネルの西の谷にありましたが、後にこの地に移されました。横須賀線が敷かれたとき、その線路が境内を横切ることになり、本堂が取り壊されて廃寺(はいじ)になり、薬師堂だけが残ったということです。
 また、一説によると、長善寺は江戸時代に焼失し、薬師堂だけを残して廃寺になったともいわれています。

 鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」より
 薬師堂には、素朴な一木造で、平安後期のものといわれる本尊の薬師如来像(やくしにょらいぞう)と、江戸時代のものである脇侍の日光(日光)・月光(がっこう)菩薩像(ぼさつぞう)や、鎌倉時代の八体と江戸時代の4体の十二神将像(じゅうにしんしょうぞう)が安置されていました。
現在は鎌倉国宝館に預けられています。堂内には同じ形の仏像の一部が安置されています。
 薬師如来は薬壷を持って人々の病気を治すなど願いごとをかなえ、日光・月光菩薩は薬師如来のカが昼夜を問わず発揮できるようにするといわれます。




 十二神将は薬師如来を助け、薬師如来を信仰する人々を守護する神です。昼夜を十二に分け、例えば子(ね)の時刻を守る神は頭の上には鼠(ねずみ)の形が、丑(うし)の時刻を守る神は頭の上には牛の形が、というように十二支の動物を形どったものがそれぞれの神の頭についていることが多いようです。
 十二支というのは、鼠(ねずみ)=子(ね)、牛(うし)=丑(うし)、虎(とら)=寅(とら)、兎(うさぎ)=卯(う)、竜(たつ)=辰(たつ)、蛇(へび)=巳(み)、馬(うま)=午(うま)、
羊(ひつじ)=未(ひつじ)、猿(さる)=申(さる)、鶏(にわとり)=酉(とり)、犬(いぬ)=戌(いぬ)、猪(いのしし)=亥(い)で、今は年を表わすのに使っていますが、昔は時間や方角を表わすのにも使いました。
 十二神将は、それぞれ守る時刻により子(鼠)神将と
か丑(牛)神将などと呼ばれ、自分の生まれた年が鼠年ならば子神将を、牛年ならば丑神将を守り神とする信仰もありました。

 鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」より








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