座間 鈴鹿郷神社の神輿が海上を渡御し漂着「鈴鹿明神社」

 欽明天皇(539年即位)の御代に創祀せられたという。

  伝説によると、伊勢の鈴鹿郷の神社例祭に神輿が海上を渡御した折、にわかの暴風に襲われ、漂流して相模国入海の東峯に漂着した。里人が社を創立してこれを鎮守とし、鈴鹿大明神と崇め奉ったと伝えられている。
 みこしがこの地に着いたとき、梨の木坂に住む龍神(座間にもともといた神)はみこしの中の宝物を欲しがり、七日七晩暴れました。これに対して流れついた鈴鹿の神は宝物を与えてしずめ、ここに落ち着くことにしました。

座間 欽明天皇の御代に創祀せられた「鈴鹿明神社」

 鈴鹿明神社は、遠く第二十九代欽明天皇の御代(539?~571?)に創祀せられたという。伝説によると、伊勢の鈴鹿郷の神社例祭に神輿が海上を渡御した折、にわかの暴風に襲われ、漂流して相模国入海の東峯に漂着した。里人が社を創立してこれを鎮守とし、鈴鹿大明神と崇め奉ったと伝えられている。また天平年間にこの地は鈴鹿王の所領で土甘(とき)郷と言った(正怠院文書)ところから、時人が王の御名を冠して鈴鹿の字名が発祥したとも推察される。
 鈴鹿明神社は、往古、東南西方平坦な水田で、その中央ー丈余りの高所に、はるばる大洋を望むかの如く鎮座していた。境内は船の形をし、数十の樫の古木が繁茂し、参道中央に銀杏の大木があって、さながら船の帆の様であった。その遠景を人は「舟形の森」「樫の森」と呼んで親しんだが、今はその銀杏もなく、地形も変動して面影はない。

座間 伊勢鈴鹿郷の神輿が流れ着いた「鈴鹿明神社」

 欽明天皇(539年即位)の御代に創祀せられたという。
 伝説によると、伊勢の鈴鹿郷の神社例祭に神輿が海上を渡御した折、にわかの暴風に襲われ、漂流して相模国入海の東峯に漂着した。里人が社を創立してこれを鎮守とし、鈴鹿大明神と崇め奉ったと伝えられている。