鎌倉 孟宗竹林の竹の庭「報国寺」

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 1334年(建武元年)、足利尊氏(あしかがたかうじ)の祖父蒙蒔が開いたといわれていますが、宅問(たくま)上杉氏の祖とされる重兼(しげかね)が建てたという説もあります。開山は、仏乗禅師(ぶつじょうぜんし)ともいう天岸慧広(てんがんえこう)です。中国に渡り修行を積んだ高僧で、五山文学の代表の一人に数えられています。
 報国寺は、足利氏と上杉氏の菩提寺(ぼだいじ)として栄え、5kmほど先の衣張(きぬばり)山まで境内に含むような大きなお寺でした。足利持氏(もちうじ)の子義久(よしひさ)が永享(えいきょう)の乱で自殺したのはこの寺です。
 
【伝説】
 室町時代この谷にも宅間猫という年老いた大猫が住みつき、里へ出ては子どもを取って食べるので、当時住職だった暘谷乾幢和尚(ようこくかんどうおしょう)が山に向かって一喝したら、熊のような猫が崖の下で死んでいたという話が残っています。