功臣山 報国寺(臨済宗)
鎌倉市浄明寺2-7-4 標高 24.9m
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 通称:「竹の寺」

 1334年創建。開基は、足利尊氏の祖父、足利家時で、開山は天岸慧広(てんがんえこう)。

 1438年の永享の乱で敗れた鎌倉公方足利持氏の子義久がこの寺で自刃(10歳または14歳)している。
 1334年(建武元年)、足利尊氏(あしかがたかうじ)の祖父蒙蒔が開いたといわれていますが、宅問(たくま)上杉氏の祖とされる重兼(しげかね)が建てたという説もあります。開山は、仏乗禅師(ぶつじょうぜんし)ともいう天岸慧広(てんがんえこう)です。中国に渡り修行を積んだ高僧で、五山文学の代表の一人に数えられています。
 報国寺は、足利氏と上杉氏の菩提寺(ぼだいじ)として栄え、5kmほど先の衣張(きぬばり)山まで境内に含むような大きなお寺でした。足利持氏(もちうじ)の子義久(よしひさ)が永享(えいきょう)の乱で自殺したのはこの寺です。


【伝説】

 室町時代この谷にも宅間猫という年老いた大猫が住みつき、里へ出ては子どもを取って食べるので、当時住職だった暘谷乾幢和尚(ようこくかんどうおしょう)が山に向かって一喝したら、熊のような猫が崖の下で死んでいたという話が残っています。


 鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」より
 この寺で自刃した足利義久は将軍職をうかがう姿勢をとったこともあって、討伐の軍をさし向けられ(永享の乱)永安寺で自害、長男義久も報国寺で自害したという。
 参道両脇の樹林が静かさを演出している。




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