中村憲吉はアララギ派のリーダーとして現代日本歌人の第一人者として短歌界に重きをなしました。(アララギは、正岡子規門下の歌人たちによって結成された短歌結社誌)
1933年12月25日に病気(肺結核と急性感冒)の療養のために、おだやかな尾道の千光寺山中腹に転地し、1934年5月5日、45歳の若さで帰らぬ人となった。斎藤茂吉をはじめとする多くの文人たちが見舞いに訪れたといわれています。
ここでは、離れの建物のみ見学できる。中村の資料などは文学記念室の方で展示されています。
注)「文学記念室」は、2020年3月末、入館者数の低迷などを受けて閉館したようです。この施設も文学記念室の一部なので、閉館したのでしょうか。
病気療養にもかかわらず、高所に住んだのですね。やはりこの景色が、病気によいと考えられていたのでしょうか。
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秋浅き木(こ)の下道を少女(おとめ)らは
おほむねかろく靴ふみ来るも
(上京後、3年目、お茶の水での作)
おく山の馬棚戸(ませど)にくれば霧ふかし
いまだ咲きたる合歓(ねむ)の淡紅(うす)はな
(郷里布野での作)