西国寺(真言宗醍醐派の大本山) 山門
尾道市西久保町 標高:24.4m
この仁王門は、門中にまつられている二体の仁王尊像とともに室町末期の作で、仁王尊像の躍動感と、威厳を感じます。正面に下がる大草履は、健脚を願っての奉納と伝えられています。
草鞋のかけ替えが2004年12月に行われました。
西國寺は天平年中、行基菩薩創建と伝えられ、真言宗醍醐派の大本山。
ある日、尾道に立ち寄られた行脚の中の行基はその夜、加茂明神の霊夢を見て、その御告げによってこの地に開山したと言い伝えられます。
西国一の大寺。今、徳島大学の学者グループで、この寺の「古文書」が解読されている。その中で、織田信長を呪い殺す”調伏”がこの大寺で行われた、とある。
昔から真言密教は、どろどろとした人間の最も暗部の欲望を開放する宗教。人を生かすことも、人を殺すことも宗教の重大な役目だった、と。だから信長は光秀に本能寺で殺されたのだろうか? と考えてみるのも面白いですね。
信長の暗殺された「本能寺の変」についての計画が、この辺り(備後)で行われたという妄想もできます。
その理由は、隣の港町の鞆の浦に「足利義昭」がおり、尾道には、信長に対して反旗を翻した「荒木村重(秀吉の使いで謀反を止めるように、説得に来た黒田官兵衛を殺さず1年ほど土牢に監禁した人…官兵衛には殺されなかったという感謝もあったのか?)などがおり、三原には「小早川隆景」がいました。当時の最速の交通手段は海路であり、この辺りは船での移動が簡単で、また、尾道には通信手段に伝書鳩を使うお寺(浄土寺)もあったので、部下を極端に粗末にするようになった織田信長に対し、なんらかの企てが行われても不思議ではないですね。
「この先には、この大きな草鞋サイズの足を持つ大男がいるよ、悪いことして入ったら返り討ちに遭うよ」と。
京からお連れした仁王さん。尾道がたいそうお気に入りで、夜な夜な町を散歩する。どすんどすんの大音に、町の人々眠れない。和尚に頼んで経あげて、やっと門におさまった。仁王さんの健脚にあやかりたいと、信者が奉納した大草履。
【民話 西国寺の仁王さん】その1
今から三百年以上も前のこと、西国寺ではこの近辺の寺にはないような大きな仁王門を建てました。院家さんや檀家の人たちは、由緒ある西国寺にふさわしい立派な仁王さんをお迎えしようと、四方八方手を尽く
して探しておりました。
そんなところへ、京都に有名な仏師が彫った素晴らしい仁王さんがあるという話が伝えられ、院家さんはさっそく京へ上りました。
道を訪ねながら探し当てた店の前にデンと構えた仁王さんの出来栄えの見事なこと。院家さんは大そうの
お気に入りで、たくさんの大判、小判を出してそれを譲ってもらいました。
仁王さんがあまり大きいので、陸路尾道へお連れすることはできそうもありません。船で淀川を下り、京から大阪へ、そして海路尾道まで運ぶことにしました。院家さんが船で待っていると、店の主人が仁王さんをお連れしてきました。見ると、さっき店で買った仁王さんと違って、ひどく出来の悪いものでした。
院家さんはびっくり仰天して、
「おや、これは、ご主人どういうことですか。さっき買うた仁王さんと取り換えてください」
と言いますと、
かと、偽の仁王を運ばせた人夫たちに西国寺の仁王さんを押し返そうとしますが、仁王さんは根が生えたようになってビクともしません。
眼を白黒させている主人をしり目に、
「わしは尾道へ行きたい」と言ったかと思うと、仁王さん、まるで岩が鳥の羽にでもなったよう、ヒラリと船に飛び乗りました。こうして院家さんは仁王さんと
いっしょに、意気揚々と尾道に帰ってきました。
さて、西国寺では大きな仁王門に立派な仁王さんが入られたので、盛大な法会をしました。近郷近在からは、ひと目この仁王さんを見よう、その霊験を授かろうと、
「いいえ、何をおっしゃいます。これが院家さんの買われたに王さんに間違いありません」
欲深な主人は、院家さんを田舎者と見くびってどうしても取り換えようとはしません。
腹が立つやら情けないやら、院家さんは困り果て、思わず「西国寺の仁王さま船まで来てつかあさい」
と、何度も大声を張り上げて呼びました。するとどうでしょう。あら不思議。遠くの方から「西国寺の仁王はわしじゃ」と雷のような声が聞こえ、ズシンズシンと地響きを立てて、あの仁王さんが歩いてくるではありませんか。
店の主人はびっくりして、あれを渡してなるもの
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毎日たくさん人がお参りに来ました。
ところが、しばらくするとたいへんなことが起きました。仁王さんは景色のよい尾道が気に入ったのでしょうか。夜になると門を抜け出し
「尾道はええところじゃ」と西国寺山をあちこち歩き回ります。あの大きな足でドスンドスンと踏み
つけられたものですから、西国寺山は千光寺山、浄土寺山より背が低くなってしまいました。
また、山を歩いた足でそのまま、にぎわう町へと繰り出すようになりました。町の人たちはこわくて外へも出られません。困ったあげく、西国寺へ出向き、
「院家さん、仏さまをお守りするのが役目の
仁王さんが、あのように毎晩遊び歩かれるのはどういうことでございますか。なんとかしてもらわんことには…」と、申し入れをしました。
院家さんは、毎日のように苦情は聞くし、山は低くなるし、檀家の人たちと相談して、仁王さんの足にクサビを打ち、またに王門に頑丈な格子を打ち
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