日天山 宝泉寺(曹洞宗)
厚木市上依知  標高 41.8m
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 宝泉寺は室町時代の後期、1486年に起立。 当時は周囲萬木千草地に満ちて裏山は松が繁り昼なお暗く凄然としており、 そのため別名「松壽林宝泉寺」ともいわれていた。

 現在の地に初めて堂宇を建立したのが、曽我の小林平馬の弟、「宗珍和尚」 で、師は43年間の在住により布教を発展させ今日の基礎を築いた。
 その後6世「悟庵珊道和尚」の時(1654年、厚木市三田「曹洞宗・ 清源院」6世玉山智存大和尚を法地の開山とし、曹洞宗・宝泉寺の1世に請した。それから今日まで、布教や伽藍・境内地の整備にと壇信徒と共に歩み、19世「大満悦道大和尚」の時に客殿庫裏を、20世「大光真道」の時、現本堂のそれぞれ落慶(2001年)を迎えた。
「六地蔵の由来」
 小野篁(おのの たかむら)は嘉祥二年(849)、熱病で意識を失って地獄に行き、そこで一人の僧が責苦に苛まれ苦しむ人々を救っているのを見た。僧は「私は地蔵菩薩である」と名乗り「六道の迷いの世界を巡りながら縁ある人々を救っているが、縁のない人を救うことはできず残念だ。貴方はこの地獄の有様と地蔵菩薩のことを人々に知らせてほしい」と語った。それを聞いて蘇った篁は、一本の桜の木で六体の地蔵菩薩像を刻んで大善寺の地に納めたことから、ここを六地蔵と呼ぶようになり、この話が庶民に地蔵信仰を広めたという。