この地は、鎌倉時代に依知郷一帯を支配していたされる土豪の本間六郎左衛門重連の代官屋敷があったといわれる場所である。 妙純寺に伝わる縁起によると、鎌倉時代末期の文永8年(1271)9月に幕府の迫害を受けた日蓮上人が、佐渡に流される際に本間屋敷に数日滞在して「星下りの奇瑞」を現したという伝説が残されている。
本間氏は、古く平安時代から相模国の高座郡海者名郷の豪族であった「海老名氏」から分かれた土豪の一族で、本間姓を名乗った初代は右馬允能忠という。その時期は定かではないが、鎌倉幕府の成立後には能忠以下の代々の当主が、幕府の御家人として佐渡国の守護に任じられていた。以上により、平安時代の末頃には本間氏を名乗って依知郷一帯を治めるようになっていたものと思われる。能忠の後は、忠綱―久綱―宣基―泰綱―重久と続いてその次の7代目が本間六郎左衛門重連である。
その重連が当主として佐渡の守護を務めていた時に、日蓮が佐渡に流罪となり、金田の本間屋敷に一時滞在することになったのである。
日蓮が書いたとされる「種種御振舞御書」に相模の依智の本間六郎重連の館で、日蓮が月天に苦言をいうと「天から明星のような大星がおりてきて梅の木にかかった」とあります。
「星下り」伝説を伝える寺院は三つありますが、これらの寺が建っている場所はかって本間氏が館や屋敷を構えていた所といわれています。あえて特定するよりも謎のままでもよいのでは!