松葉谷 妙法寺(日蓮宗)
鎌倉市大町4-7-4 標高 14.7m ~ 32.3m
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 1253年に日蓮が安房より移り住んだ松葉ヶ谷草庵跡に開かれたとされ、現在も境内奥の山腹に「御小庵趾」の碑がある。

 実質的な開山は日蓮より数えて第5世となる楞厳法親王妙法房日叡(りょうごんほうしんのうみょうほうぼうにちえい)で、1357年のこと。

別名:苔寺


 開:9:30~16:30  休:7~9月、12~3月は月から金は休み(祝日除く)  境内:300円。
 日蓮の御小庵が焼かれた後、ここには法華堂(ほっけどう)が建てられ、本圀寺(ほんこくじ)となりましたが、室町時代の初めに京都に移されました。その跡地に護良親王(もりよししんのう)の遺子(いし)日叡(にちえい)が父の霊を弔うため、1357年(延文2年)に寺を再興したのが妙法寺の起こりといわれています。
 妙法寺の寺名は日叡がいたところの妙法房(みょうほうぼう)から、山号は日叡の幼名りょう巌丸(りょうげんまる)から付けられたといわれています。
 この妙法寺は南北朝から室町時代にかけては寺の勢いが盛んで、塔頭(たっちゅう)が5院あったということです。また江戸時代、11代将軍徳川家斉(とくがわいえなり)が参拝し、明治30年ごろまで、将軍御成(おなり)の門があったといいます。

 鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」より
 総門。
 江戸時代の後期、熊本の大名細川家(ほそかわけ)が建てたと伝えられる本堂には、公開されていませんが寺宝の日蓮上人像(にちれんしょうにんぞう)や釈迦三尊像(しゃかさんぞんぞう)が安置されています。ケヤキ造の本堂の天井や欄間(らんま)の絵と彫刻はすばらしいものです。

 鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」より




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