正面にみかげ石の鳥居があります。石段を上がると美しい緑色の銅葺き屋根の社殿が建っています。かたわらに、神輿(みこし)を納めてある神輿庫(みこしこ)もあります。境内の囲いもなく開放的な割には荒れた感じのないこの神社は、いかにも地域の人々によって守られているという雰囲気をもっています。
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鎌倉 念仏僧の代表者の一人「良忠上人御廟」
鎌倉 竜巻や火災にあったりした「補陀洛寺」
文覚上人(は頼朝の挙兵をうながした人)の開山、源頼朝の開基。1181年に源頼朝の祈願所として創建。七堂伽を完備した大寺院だったが、火災や竜巻で多くの伽藍を失なった。当時は境内も1km四方あった。
本尊の十一面観音菩薩像や薬師如来像(行基の作)、日光・月光菩薩(運慶作)、地蔵像(空海作)などが安置されている。
源頼朝の供養をする位牌所。
「補陀洛」サンスクリット語で「ポータラカ」(観音菩薩が住むという南海上にある山のことで、観音浄土を意味する)。日本語に翻訳するとき「補陀洛」の字をあてた。
はじめは、阿弥陀仏の西方浄土が人々の信仰を集めるが、次第に南の補陀洛浄土への信仰が盛んになっていったという。
鎌倉 洪鐘(おおがね)と呼ぶ「円覚寺 鐘楼弁天堂」
鎌倉 恵比寿と同一視される「蛭子神社」
鎌倉 地震や津波で海辺から移された「円応寺」
鎌倉 腰越 開山は空海と伝えられる「浄泉寺」
鎌倉 太田道灌の屋敷跡と伝える「英勝寺」
鎌倉 素朴な一木造の薬師如来像「辻薬師堂」
鎌倉 江ノ島電鉄設置で移した「諏訪神社」
鎌倉 日蓮が「立正安国論」を執筆した「安国論寺」
鎌倉 関東大震災で諸堂は潰滅したが「浄智寺」
鎌倉 銭を洗うと百倍、千倍になるという「銭洗弁天」
鎌倉 芝増上寺から移設も「建長寺 仏殿、法堂」
鎌倉 文殊菩薩伝説がある「勧行寺」
鎌倉 日蓮宗最古の三寺院の内の一つ「妙本寺」
鎌倉 白い猿が日蓮を救った草庵跡に「長勝寺」
鎌倉 関東大震災で倒潰、40年後再建「円覚寺 仏殿」
鎌倉 若狭局を祀る社「蛇苫止堂」
源頼朝が1199年に死ぬと、1202年、子の頼家が18歳の若さで将軍となった。しかし、経験と統率力に乏しかったため、御家人の信望を得られず、幕府の基礎を危うくするかに思われた。そこで頼家の母(頼朝の妻)北条政子は、将軍がすべてを決済する従来の方針を改め、有力御家人13人による合議体制を採用し、政子の父時政がその中心となって活動した。
すると、それに不満な源頼家は、比企能員(ひきのよしかず)と共に北条征伐を計画する。 北条時政は、比企能員を自宅に招いて暗殺、比企ヶ谷の比企一族は、北条義時らに攻められ滅ぼされた。また、源頼家を伊豆の修善寺に幽閉した。
蛇苦止明神は妙本寺(みょうほんじ)の守護神となっています。