門を入った正面に本堂があり、右側に墓地、左側に庫裏があります。日蓮の弟子日賢(にっけん)が1309年(延慶2年) に開いたと伝えられています。本尊は、三宝本尊(さんぽうほんぞん)(祖師)という「南無妙法蓮華経」のお題目が書かれた塔と釈迦如来、多宝如来で、日蓮上人像とともにまつられています。また、岩の上のキッネにまたがった稲荷明神像もありますが、これは「教(経)-稲荷」と呼ばれ、左手に宝珠(ほうじゅ)を持つ江戸時代のものです。
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鎌倉 例祭では神輿が海に入る「五所神社」
鎌倉 仏の顔を納めている本尊の薬師如来「海蔵寺」
鎌倉 元寇戦没者追悼のため創建した「円覚寺」
円覚寺の規模は、1283年には、正式な僧が100人、行者(あんじゃ)・人工が100人、その他の人が68人の合計268人でした。行者・人工とは、禅宗の寺で使われていた人達のことで、寺の様々な仕事をしていました。また、そのとき円覚寺で一年間に使う米の量は約1400石(約210 t)、銭は約1700貫文でした。このほかに寺の領地からは、大豆・まき・炭などが運ばれていました。
1323年、を望が完成し、1334年~1335年に描かれたとみられる「円覚寺境内絵図」によれば、総門・山門・仏殿・法堂などが一直線上に並び、総門と山門との両側には、東司(とうす)(便所)と浴室があり、山門と仏殿の左右には、僧堂と庫裏が並んで中国風に配置されていました。また、このころの塔頭の数は、40を超えていました。
鎌倉 頼朝の娘大姫の守本尊を安置する「岩舟地蔵」
鎌倉 山すそに開かれた寺「長谷寺」
鎌倉 忍性が熊野本宮からお迎えした「熊野神社」
鎌倉 念仏僧の代表者の一人「良忠上人御廟」
鎌倉 竜巻や火災にあったりした「補陀洛寺」
文覚上人(は頼朝の挙兵をうながした人)の開山、源頼朝の開基。1181年に源頼朝の祈願所として創建。七堂伽を完備した大寺院だったが、火災や竜巻で多くの伽藍を失なった。当時は境内も1km四方あった。
本尊の十一面観音菩薩像や薬師如来像(行基の作)、日光・月光菩薩(運慶作)、地蔵像(空海作)などが安置されている。
源頼朝の供養をする位牌所。
「補陀洛」サンスクリット語で「ポータラカ」(観音菩薩が住むという南海上にある山のことで、観音浄土を意味する)。日本語に翻訳するとき「補陀洛」の字をあてた。
はじめは、阿弥陀仏の西方浄土が人々の信仰を集めるが、次第に南の補陀洛浄土への信仰が盛んになっていったという。



















