熊野新宮は極楽寺の鎮守社。1335年には足利直義(尊氏の弟)が土地を寄進している。単に新宮社とも。
極楽寺開山忍性の行跡を記した『忍性菩薩行状略頌』に1269年創建の記述が見られる。鎌倉幕府の崇敬を受けた。幕府滅亡後は足利氏の庇護の下に入り、1335年には足利直義が土地を寄進している。
極楽寺一帯には、熊野新宮のほか、八雲神社と諏訪明神社があったが、関東大震災で倒壊したため、1928年に当社に合祀された。
もとは新宮社と名乗っていました、1269年(文永六年)忍性が熊野本宮から勧請したと伝えられ、鎌倉時代、極楽寺全盛時より熊野新宮と名付け、極楽寺の鎮守社として広く神域を領して鎌倉幕府の崇敬を受けていました。
祭神は、日本武尊(やまとたけるのみこと)、速玉男命(はやたまのおのみこと)、素斐鳴命(すさのうのみこと)、建御名方命(たけみなかたのみこと)です。
極楽寺一帯には、もともと熊野新宮のほか、八雲神社と諏訪明神社の二社があったのですが、関東大震災で倒壊したため、昭和三年に当社に合祀されました。
正面にみかげ石の鳥居があります。石段を上がると美しい緑色の銅葺き屋根の社殿が建っています。かたわらに、神輿(みこし)を納めてある神輿庫(みこしこ)もあります。境内の囲いもなく開放的な割には荒れた感じのないこの神社は、いかにも地域の人々によって守られているという雰囲気をもっています。
ここは昔、極楽寺の境内でした。忍性(にんしょう)の業績を記した文章に「文永六年(1269年)に新宮を建てる。」と出ています。極楽寺の鎮守(ちんじゅ)の神として熊野本宮からお迎えしたのは、忍性が大和(やまと)(奈良県)の
ていますが、山車(だし)・神輿(みこし)を出して、地域の人の夏のレクリェーションの一つにもなっているようです。
鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」より
現在の社殿は1927年に再建されたもの。
出身で信仰されていたからでしょう。
極楽寺地区には八雲神社(やくも)と諏訪(すわ)神社もありましたが関東大震災で社殿が倒れたので、1928年(昭和3年)から熊野新宮(くまのしんぐう)に合わせておまつりしているのです。
今の社殿は1927年(昭和2年) Iこ再建されたものです。必要に応じて地域の人々が修復しており、その氏名を連ねた板を見ると外国人の名もあります。
お祭の日はそれぞれ違っていて、八雲神社は7月の第2日曜日、熊野新宮と諏訪神社は9月8日になっています。いずれも極楽寺・稲村ヶ崎住民の信仰を集め