諏訪神社
鎌倉市御成町 標高 12.4m
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 祭神は建御名方神   祭礼は8月2日。

 鎌倉市御成町にある諏訪神社は諏訪氏の屋敷内にあった守護神が移されたも。祭神は建御名方神(たけみのかたのかみ)。

 信濃国一宮の諏訪社大祝職である諏訪盛重は承久の乱(1221年)の後に北条泰時に被官し、1236年に泰時の邸宅が新造されると、尾藤景綱と共にその敷地内の北条屋敷横に屋敷を構え、諏訪池の東側に諏訪神社を祀ったとされる。

 現在の鎌倉市役所横、市立御成小学校付近は諏訪一族の屋敷跡と伝える場所で、この諏訪神社も諏訪一族の守護神として邸内に祀られていたという。もともとは御成小学校内にあったが、江ノ島電鉄の開通に伴い現在地に移した。御成の人々はもともと小町の蛭子神社の氏子であったが、鉄道線路による分断もあり、1950年頃から諏訪神社の氏子となった。
 現在市役所の駐車場になっているところに諏訪池があり、その池の東のほとりに諏訪神社がまつられていました。その周囲は諏訪の森と呼ばれるほど樹木が繋っていましたが、今は市庁舎側の歩道にわずかに大木が残るだけです。

 諏訪神社は現在、商工会議所西側の御成トンネル右手前に移され、社殿も鳥居も再建されています。この神社は、誠訪盛澄(すわもりずみ)・盛重(もりしげ)の邸内の守護神としてまつられたものということです。
 現在諏訪神社がおかれている場所には、以前簡易裁判所がありましたが、現在は由比ガ浜に移されています。

 鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」より
 古事記にある、建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)と建御名方神(たけみなかたのかみ)の力くらべが奉納相撲になったのではないか、と思われます。
 神さまは、勇敢な者、強い者がお好きなようです。
 天照大神が、建御雷神(たけみかづちのかみ)と経津主神(ふつのぬしのかみ)を使者にして、国を譲るようにと申しいれてきました。
 大国主神は自分の息子の同意を条件に、国譲りを受けいれました。
 事代主神(ことしろぬしのかみ)は同意しましたが、もうひとりの息子の建御名方神(たけみなかたのかみ)は反抗し、建御雷神に勝負を挑みました。しかし、あえなく敗れ、諏訪の地まで逃げたあとでとらえられたそうです(諏訪大社の祭神)。
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