現在の仏殿(国重文)は、1628年(寛永5年)に芝増上寺(しばぞうじょうじ)に建てた、江戸幕府第2代将軍の徳川秀忠(ひでただ)の夫人だった崇源院(すうげんいん)の御霊屋(みたまや)の拝殿(はいでん)を、1647年(正保4年)に移転したもので、天井や壁に華麗な装飾がみられます。本尊は、台座をいれると約5.6mもある大きな地蔵喜薩像(じぞうぼさつぞう)です。脇(わき)には、鎌倉時代以降に行われた1,000体の地蔵をまつる供養の千体地蔵(せんたいじぞう)が282体現存し、頭部のみのものも46個残っています。
たが、何度切ろうと思っても刀が折れて切ることができませんでした。不思議に思ってそのわけをたずねてみると、
「私は、いつも地蔵を信仰して身から離したことはありません。今も、髪の中に納めております。そのご利益(りやく)によるものです。」と答えました。そこで調べてみると、確かにその地蔵が出てきて、いくつかの刀の傷跡がありました。みんなは、たいへん驚いて、切るのを止めたということです。
斎田左衛門は地蔵に感謝し、その像を心平寺のお地蔵さまの中に納めました。
仏殿内部の天井絵。
本尊地蔵菩薩。
地蔵菩薩を本尊とする寺はめずらしい。その理由は、往古この地に地蔵堂があったため。
ここには、心平寺の地蔵もまつられています。
また、仏殿本尊の体の中に安置されていた地蔵には、このような伝説があります。
仏殿の後ろの法堂(ほっとう)(国重文)は、寺の儀式などが行われる大きな建物で、1814年(文化11年)に建てられました。
明(みん)(今の中国)の竹西(ちくさい)が書いたといわれる「海東法窟(かいとうほうくつ)」の額を掲げ、千手観音(せんじゅかんのん)をまつっています。天井には小泉淳作の立派な龍の絵が描かれています。
頼朝(よりとも)の時代に、斎田左衛門(さいたさえもん)という人が無実の罪で切られそうになりまし
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法堂、儀式法要を行う。
1814年の再建。もと修行道場。
法堂内部。
このようなことから、この4cmほどの小さなお地蔵さまを、「斎田地蔵」というようになったと言い伝えられています。斎田地蔵は、建長寺を建てたときに建長寺本尊の地蔵像の中に移されましたが、今は他の寺宝と共に別の所に保管されています。
法堂から左側の参道に進むと、唐破風(からはふ)
の屋根の唐門(からもん)(国重文)があります。この唐門は、勅使門(ちょくしもん)ともいわれ、仏殿とおなじく増上寺から移したもので優美な造りのものです。
唐門の脇を通り進むと、「龍王殿(りゅうおうでん)」の額を掲げた方丈(ほうじょう)があります。
この建物は、総門とともに京都般舟三昧院
(はんじゅさんまいいん)から移されたもので、宝冠(ほうかん)釈迦如来像(しゃかにょらいぞう)がまつられています。
鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」より