1282年 鎌倉時代、布教の為に鎌倉に入ろうとした一遍上人の一行(おそらく尼を引き連れ、乞食同然の姿)は鎌倉につながる関所を守る武士達に拒絶され、やむなく、江ノ島に通じる街道筋に一夜の野宿をした、その野宿した跡地に建てられたのがこの光照寺で、一遍上人法難霊場となっている。
時宗の成功を賭け鎌倉入りを目指した一遍にとっては、その直前で、鎌倉入りを阻止され、この地で不安な一夜を過ごしたのでしょう。翌日江ノ島に行き、そこで踊念仏を行い大成功することができひと安心した。
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江の島 たびたび裏山が崖崩れした「延命寺」
鎌倉 日蓮が辻説法を行った場所に「本興寺」
鎌倉 黒蜘蛛が疫病を蔓延、厄除けの「八雲神社」
鎌倉 天狗の姿をした像を祀る「半僧坊大権現」
鎌倉 明治中頃まで住職を置かなかった「龍口寺」
鎌倉 昔、ここに律宗の多宝寺があった「妙傳寺」
鎌倉 新田義貞が北条方の戦死者を弔う「九品寺」
創建は1336年 九品寺は、新田義貞が京より招いた風航順西が開山。この地は義貞が鎌倉攻めの際に本陣を構えたところとされ、北条方の戦死者を弔うために建立された。
1333年 新田義貞は5月8日自国を出発、徐々に軍勢を整え、鎌倉に攻め上った。5月22日 稲村ケ崎で“剣を投じて奇跡”を起し、そして一気に中心に向かって侵攻。材木座海岸からまわりこんで、この地に陣を構えた。 町の中はあちらこちらに火が放たれ、猛火が罪のない人々を襲い、阿鼻地獄のようになった。
北条方も勇猛に戦ったが利あらず、同日東勝寺にて、北条高時はじめ多くの一族郎党、八百七十余人が自刃したと 伝えられている。『太平記』
鎌倉では唯一の義貞が建立した寺で、山門の「内裏山」、本堂の「九品寺」の掲額は、義貞の筆蹟と伝えられている。
鎌倉 安産の神様とされる産女霊神を祀る「大巧寺」
鎌倉 日蓮も一時幽閉された土牢「光則寺」
鎌倉 北条時頼公の墓がある「明月院」
鎌倉 平家一族の五氏の霊を祀る「御霊神社」
鎌倉 双六勝負の形勢逆転した地蔵菩薩「延命寺」
鎌倉 浄土、真言、華厳、律の兼学の寺「浄光明寺」
鎌倉 元寇を退けた北条時宗の菩提を葬る「仏日庵」
相模原 一遍が草庵を設けたのが始まり「無量光寺」
鎌倉 足利尊氏屋敷跡に建てた「長寿禅寺」
長寿寺は、初代鎌倉公方足利基氏(もとうじ)が父尊氏(たかうじ)のため、その屋敷跡に1374年(応安7年) に亡くなった古先印元(こせんいんげん)を開山として、1323年(元亨3年)~1336年(建武3年)ころに建てたといわれ大きな寺でした。一説には、足利尊氏が建てたともいわれていますが、尊氏の法名(ほうみょう)が関東では、長寿寺殿とされたのはこの寺の名が由来だといわれます。
足利尊氏も織田信長も、「この世は幻のようなもの」といっている。
そうはいいながらも、尊氏も信長も懸命に戦って人生を駆け抜けた。
違いは、尊氏は家系(男系)をある程度残すことができたが、信長は残すことが出来なかった。信長にとっては「この世は幻のようなもの」でした。



















