八雲神社は、もと祇園天王社(ぎおんてんのうしゃ)と呼ばれていました。1087年(寛治元年)弓馬の名将といわれた新羅三郎義光(源義光)が、後三年の役で兄八幡太郎義家(源義家)の援護のため奥州(東北)へ下るときに鎌倉を通り、疫病が流行して人々が苦しむようすをみて、京都京都祇園社の祭神をここに移して祭ったと伝えられています。鎌倉では古い神社の一つです。
カテゴリーアーカイブ: からだの散歩
鎌倉 子宝のご利益がある「縄神明宮」
鎌倉 幕府の裏鬼両という方角に当たる「本覚寺」
尾道 文化財の宝庫「浄土寺」
尾道 尾道一の絶景「浄土寺山山頂」
鎌倉 スサノオノミコトを祀る「八雲神社」
海老名 有鹿姫伝説の「有鹿神社」
鎌倉 鎌倉で五重塔は珍しい「龍口寺」
尾道 清楚で風格のある「西郷寺」
鎌倉 源氏の秘密兵器「伝書鳩」その関係は「鶴岡八幡宮」
福山 おっぱいがいっぱい「阿武兎観音」
鎌倉 「元鶴岡八幡宮」の横に芥川龍之介が住んだ
相模原 南区 一遍が訪れた「無量光寺」
鎌倉 静かな趣の寺「浄智寺」
福山 鞆 坂本龍馬と紀州藩「いろは丸展示館」
いろは丸事件ば、慶応3年(1867)4月、龍馬は海援隊を組織し伊予大洲藩から借げ受けた西洋式の蒸気船「いろは丸」に乗って長崎から大坂に物資(鉄砲)を運ぶ途中、岡山県六島沖(現在の同県笠岡市)で、紀州藩の蒸気船「明光丸」に横から衝突されたのです。明光丸は鞆港へ向けて、いろは丸を曳航しようとしましたが、浸水のため宇治府沖で沈没してしまいました。
このため両者は鞆の浦にとどまりの損害賠償について昼ゆ夜交渉を繰り返しましたが決裂し、舞台を長崎に移して再交渉を行いました。最終的に、龍馬側が賠償金を受け取る、ことでようやく決蒲ししました。
この事件は、坂本龍馬が暗殺(この時、龍馬33才)される半年前のことです。



















