福山 鞆湾の入口の守り神「淀媛神社」

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神功皇后の妹君の「淀媛命」

 十四代仲哀天皇の后であられた神功皇后が、新羅へ出兵に際し、諸国に使令を出して船舶を集め武器鎧をお揃えになった。 また皇后は、妹の淀姫命を松浦に遣わし兵と船を集められた。松浦地方の族長である磯良(しら)を伴い此の地の海辺・膳崎(かしわざき)に着船された。

 淀姫命は松浦より出陣なされし時、沙迦羅龍王(さからりゅうおう)より潮満玉(しおみつたま)と潮干玉(しおひるたま)を借り、375人船に乗り組み、皇后と共に新羅へ向かわれた。対馬を過ぎやがて彼の地が見えだした。 潮干玉を投げられると海は50里ほど干し上がったので、新羅軍は喜び勇んで海の中まで攻めてきた。そこで潮満玉をお投げになると潮がどんどん満ち、陸の上まで上がり船は王城の門まで達した。 新羅王は和睦を乞い貢ぎ物を毎年送ることを誓い長い間届けた。淀姫命は御帰朝後、志佐の美しさと住民の暖かさをお忘れになることなく、病人の治療や干魃には雨乞いをなされた。