急な石段を上ると甘縄神明神社の拝殿と、その奥に本殿があります。この神明神社は天照大御神をまつる神社です。神社の縁起では、奈良時代の和銅年間(708年~715年)に、このあたりの豪族の染屋太郎時忠(そめやとろうときただ)が建てた鎌倉で一番古い神社(昭和の町村合併前まで)だといわれ、長谷の鎮守です。
平安時代中期の武将 源頼義が甘縄神明宮で子供が欲しいと祈願したところ、本当に子供を授かったことから“子宝のご利益がある神社”として有名になりました。
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座間 行基が金光星の如く輝くのを見た「星谷寺」
尾道 絶景の山頂「浄土寺山」
鎌倉 お茶屋の奥のお堂「岩窟不動尊」
福山 かつては海辺に寄った所に「本願寺」
鎌倉 縁結び観音も祀る「佐助稲荷神社」
厚木 安産願いに火伏のご利益も付く「春日神社」
尾道 大草鞋の大男がいるよ、悪いことはダメ「西国寺山門」
鎌倉 下関赤間ヶ淵で網に掛かった釈迦如来像が「薬王寺」
山口県下関のあたりの海で、魚がとれなくなった時期がありました。漁師達が、赤間ヶ淵(あかまがふち)と呼ばれるとても深いところに網を入れてみると、高さが17cmほどの小さな釈迦如来像が網にかかりました。その像は、背中に刻まれた文字から、中国の唐の時代の645年に作られた金銅製の珍しいものだったので、領主の原田氏は、どこへ行くにも持ち歩くほど大切にしていたということです。 原田氏は、薬王寺を再興した日達を崇拝していましたので、日達が薬王寺に入ったときにこの像を寄進したということです。その後、この像は2回も盗難にあったので、寺では代わりの釈迦如来像を造って釈迦堂にまつり、砂金で造られた釈迦像は本堂にまつるようにしたのだそうです。
福山 昔の商人の姿が残る「鞆の津の商家」
尾道 鉱毒事件の調査に来たのか?「志賀直哉旧居」
座間 裏山から湧水 し、水量も豊富「心岩寺」
鎌倉 源氏の旗、白旗に因(ちな)む「白旗神社」
小田原を平定した秀吉は天正十八年七月十七日、奥州へおもむく途中、鶴岡八幡宮に参詣した。
そして、白旗社の扉を開けさせ、源頼朝の木像にむかって話しかけたという。
「およそ微少の身で天下を取ったのは、わが国では御身(頼朝)と自分だけである。しかし御身は多田(源)満仲の後胤という名門の出で、しかも頼義・義家は東国に名を馳せ、為義・義朝も関東に威を張った。だから流人となっても、兵を挙げると関東のものがみな従ったので、天下を統一するのにたやすかった。自分はもともと氏も系図もない身であるのにこのように天下を取ったのだから、その功績は自分の方が勝っている。しかしながら御身と自分とは天下友達である」と、ひとりしゃべりおえると、頼朝の木像の背中をポンポンと叩いた、というエピソードがあります。
尾道 踊念仏を復興し、継承「正念寺」
厚木 2001年現本堂に落慶を迎えた「宝泉寺」
宝泉寺は室町時代の後期、1486年に起立。 当時は周囲萬木千草地に満ちて裏山は松が繁り昼なお暗く凄然としており、 そのため別名「松壽林宝泉寺」ともいわれていた。
現在の地に初めて堂宇を建立したのが、曽我の小林平馬の弟、「宗珍和尚」 で、師は43年間の在住により布教を発展させ今日の基礎を築いた。
その後6世「悟庵珊道和尚」の時(1654年、厚木市三田「曹洞宗・ 清源院」6世玉山智存大和尚を法地の開山とし、曹洞宗・宝泉寺の1世に請した。それから今日まで、布教や伽藍・境内地の整備にと壇信徒と共に歩み、19世「大満悦道大和尚」の時に客殿庫裏を、20世「大光真道」の時、現本堂のそれぞれ落慶(2001年)を迎えた。



















