仏殿は、芝増上寺にあった崇源院(徳川秀忠の夫人、浅井長政の娘、お江)の霊屋を1646年に譲り受けたもの。
現在の仏殿(国重文)は、1628年(寛永5年)に芝増上寺建てた、江戸幕府第2代将軍の徳川秀忠の夫人だった崇源院(すうげんいん)の御霊屋(みたまや)の拝殿を、1647年(正保4年)に移転したもので、天井や壁に華麗な装飾がみられます。
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福山 鞆 五坊を有する大伽藍だった「本願寺」
鎌倉 文殊菩薩伝説がある「勧行寺」
厚木 花の寺百ヶ寺神奈川6番札所「長谷寺」
尾道 昔の人が愛した景色の「文学記念室」
鎌倉 日蓮宗最古の三寺院の内の一つ「妙本寺」
尾道 旧市街がよく見える「海徳寺」
座間 星の谷観音堂として建立された「星谷寺」
福山 鞆 見事な石造物が 「阿弥陀寺」
海老名 この辺の伝説[彦六ダブ]の「龍昌院」
鎌倉 白い猿が日蓮を救った草庵跡に「長勝寺」
尾道 昔から船着場があった「海の駅」
座間 裏山の湧水が不動池に「心岩寺」
鎌倉 関東大震災で倒潰、40年後再建「円覚寺 仏殿」
尾道 心願成就の守り本尊の日限地蔵「大山寺」
厚木 白龍が池に棲むという「白山神社」
昔より雨乞に霊験著しい池があり、 この池は、干ばつの時でも、池の水が涸れることがなく、 それ故、人はこれを霊地と唱え、ここに古い石像、石碑が残存しています。 むかし、行基和尚がこの地に来て、この山に登り、 この池を見た時、霊水の湧き出る清浄な霊地であることを発見して、 この山を霊地と定め、楠木をもって霊御形を彫刻し、 加賀国白山妙理大権現(石川県石川郡に鎮座)を勧請したとあります。
下って江戸時代の1801年別当龍蔵院隆光は、山上に於いて、修行中に霊夢によって、 同山に秋葉権現と蔵王権現を勧請し、諸難、火難消除の守護とすれば疑なしと云々 近郷、近在の住民、信仰者の力を得て、 白山神社建立を企して、1804年再建をいたしました。
福山 鞆 多彩な歴史の足跡が刻まれる「小松寺」
鎌倉 若狭局を祀る社「蛇苫止堂」
源頼朝が1199年に死ぬと、1202年、子の頼家が18歳の若さで将軍となった。しかし、経験と統率力に乏しかったため、御家人の信望を得られず、幕府の基礎を危うくするかに思われた。そこで頼家の母(頼朝の妻)北条政子は、将軍がすべてを決済する従来の方針を改め、有力御家人13人による合議体制を採用し、政子の父時政がその中心となって活動した。
すると、それに不満な源頼家は、比企能員(ひきのよしかず)と共に北条征伐を計画する。 北条時政は、比企能員を自宅に招いて暗殺、比企ヶ谷の比企一族は、北条義時らに攻められ滅ぼされた。また、源頼家を伊豆の修善寺に幽閉した。
蛇苦止明神は妙本寺(みょうほんじ)の守護神となっています。