JRの線路が敷かれる前は、ほぼ真っ直ぐに行くことができたのですが、踏切がないため遠回りになります。
江戸時代には、石見銀山の銀を運ぶ通路(丹花小路)だったようです。
「丹花小路」
美しい天然の良港鶴湾にその昔、細長くせりだしていた丹花。鉄道以南唯一の高台としてその跡をとどめ、近所の人いがい通ることのなくなった丹花小路(元は長江一丁目荒神社前から久保一丁目橋本玩具店前)の中間あたりにスッキリした高さ2.1mの宮立型燈寵がたてる。
灯範柱の北側から「願主家内安全」金比羅大権現が小さく「常夜灯」「町内安全」「文政六年」(1823)と刻まれ、同時代を代表する型のほか、その当時神社仏閣、豪商などの私邸に多く造られていた石造美術品にたいし、庶民の手により今で云う街路防犯灯の役目を果した灯籠としての意義は注目されよう。
(「郷土の石ぶみ」心のふるさとシリーズ 第五集より 山陽日日新聞社刊行)
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右折(西)し、少し行きます。
尾道造酢株式会社(おのみちぞうす)は、1582年に尾道商人が、豊臣秀吉が雇い入れた酢職人を堺より招き入れ、酢の醸造を始めた。カクホシ印の酢などの製造を行っています。
小路(しょうじ)(鎮守小路)を通り抜け、本通りに出ます。
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昔は、この手前まで海だったようです。
常夜灯があります。このあたりで石見銀山の銀を、船に積み込んでいたのでしょうか。
伝説「丹花(たんが)の子育てゆうれい」
久保の本通り啓文社(閉店)の斜め前に細い小路があります。この小路は丹花小路といいます。
むかし、この丹花小路に一軒のあめ屋がありました。そのあめ屋では、でんぷんで作った白い
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