| 天正年間(1573~1591年)に創建したと伝えられる。 元々、福禅寺下にあったが、江戸中期(正徳年間・1711~1715年頃)に現在地に移転する。 寺院調査の中で、「梵鐘一件記録」が発見され、鐘の供出を巡る経過を詳しく記した史料として貴重である。かって、その鐘があった鐘楼門(山門)は現存する。 なお、境内には、宮城道雄(「春の海」(箏と尺八)の作曲家・箏曲家)の先祖墓がある。 江戸時代を通して、朝鮮通信使の常宿でもあった。 |
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鎌倉 もとは諏訪氏の屋敷内にあった守護神「諏訪神社」
尾道 瀬戸田 “往生要集”を体感「耕三寺千仏洞地獄峡」
愛川 半僧坊大権現を祭る「勝楽寺 半僧坊」
| 開山は天文13年(1544)能庵宗為禅師といわれています。毎年4月17日の春まつりには、近郷近在の新花嫁さんが挙式の当日の晴れ姿でお参りする習わしがあるので「美女祭り」として賑やかです。地元では平山の勝楽寺というより、田代の半僧坊という呼称が一般的です。 半僧坊や田代の半僧坊と呼ばれている勝楽寺。遠州奥山方廣寺(静岡県浜松市北区)より勧請した半僧坊大権現が祭られていることから、「田代半僧坊」と呼ばれています。 半僧坊大権現は、後醍醐天皇の皇子「無文元選禅師」が方廣寺へ御入山の際に出会った白髪の老人を弟子として、日々の作務等を怠ることなく随侍しました。 禅師が「おまえは半ば僧形である」と言うと、老人は「私は半僧です。」と答えたことから半僧坊と呼ばれるようになったそうです。 その後、無文元選禅師が亡くなると、姿を消したと言われています。 |



















