左
下
段
へ

石造りの瑠理橋があります。この石橋はその昔、久保を縦に流れていた防地川の川下にあつた元借楽座前から海徳寺に向いかかつていた新橋で、この地名はいまでも残り、もとは木の橋であったが、大正四年御大典記念に寄付をつのり大金を投じ石橋にやりかえたものです。その後道路拡張のため取りこわし、その材料の一部で瑠璃橋をかけ、残った石材がいまでも浄土寺境内に残っています。
橋の上から山側を見ると、小さな滝が見えます。このあたりにあった昭和4年高須町に移された御利益たかい蒼神神社跡にさしかかります。擁(よう)した瘡守(かさもり)神社跡のようです。癒守の瘡は「かさぶた」の瘡で、神社は昔は尾道の人々によって皮膚病に効能あり」とされていた。また、尾道が北前船の停泊港として栄えていたころは多くの人たちが信仰していたようです。