金剛院(真言宗)
尾道市西久保町  標高:33.2m
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 西國寺の仁王門をくぐり、西國寺本堂に通じる石段を登って行くと、ちょうど中間当たりの右手に金剛院があります。

 金剛院の境内には香川県琴平町の金刀比羅宮に向かって金毘羅大権現の社が建っている。

 永保3(1083)年の開基と伝えられ、願い事をして、軽く持ち上がれば願いがかなうと言われる「重軽さん」と呼ばれ石造りの三体の天狗石や、巨大なカラス天狗の作り物があります。
 「金毘羅大権現」とは「ガンジス川の鰐が神格化された航海安全の神」

 金刀比羅宮は香川県中西部、丸亀平野南端の琴平町にあり「こんぴらさん」の名で親しまれる〈金刀比羅宮〉は、明治初年の廃仏殿釈以前は、古くから神仏習合して〈金毘羅大権現〉とよばれていた。江戸時代後期には全国的な信仰を集め、現在も多くの参詣客が訪れている。
〈金毘羅〉はサンスクリット語のクンビーラの音写で、インドのガンジス川に棲む鰐(わに)の神の名に由来する。仏法の守護神となり、中国を経て日本に伝わった。仏教では薬師如来の春属である〈十二神将〉の一人で、『般若経』の信者を守る〈十六善神(じゅうろくぜんしん)〉の一人にも数えられる。
 鰐は水辺にいることから、龍神、海神など水に縁のある神になり、航海の神になっていった。
 金刀比羅宮は、降水量が少なく、絶えず水不足に悩まされてきた讃岐の平野を見下ろし、瀬戸内海に浮かぶ船から格好の目標となる〈象頭山(ぞうずさん)〉の中腹に位置する。
 金刀比羅宮の祭神は〈大物主神(おおものねしのかみ)〉。〈大己貴命(おおなむちのみこと)〉あるいは〈三輪明神〉とする記録もあるが、いずれも異名同神で、『古事記』で素盤鳴尊の六世の子孫とされる出雲神話の主神〈大国主命〉のこと。
 また、平安時代末期の〈保元の乱〉に敗れて讃岐に流刑になり、この地で亡くなった〈崇徳上皇〉も、金刀比羅宮に合祀されている。
 金毘羅大権現
     出世しだれ紅梅




 天狗は、平安時代までは「カラス天狗」、以降は「鼻高天狗。この“鼻高”の名前のため、「うぬぼれて天狗になってしまう」とか「鼻持ちならない自己中心の天狗になってしまう」などと言われるようになったのでしょう。
 平安時代の終わり、牛若丸に剣術を教えたのは
「烏天狗」ですから、このあたり以降に「烏天狗」が「鼻高天狗」に変わっていったのでしょう。
 伝説上の烏天狗は山伏装束をしており、赤い顔に高い鼻、まるで猛禽類のようなくちばしを持っている。また背中に豊かな羽が生えており、自由自在に空を飛ぶことができるとされています。
 さらに剣術に秀でており、鞍馬山の烏天狗は、五条大橋で弁慶と戦った牛若丸に剣を伝授したともいわれています。なお、名前が紛らわしいのですが、黒くてカーカー鳴くカラスと烏天狗の間に関連性はありません。




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